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ストライクウィッチーズは素晴らしい作品だろうか?
キャラはとても可愛い。話も王道ながらしっかりしている。作画も基本的にはいい。笑いあり、涙あり、燃えあり。とても素晴らしい娯楽作品である。
バカというのも非常に大事な要素ではある。二十歳以下の女の子に魔法力なるものがあるという荒唐無稽な設定。しかも普通に履いてない。そういうこまけえことはいいんだノリが大事という意見も聞く。
それだけだろうか。
少し話は変わるが、俺はストライクウィッチーズのことをスト魔女と略す。巷ではストパンが普通らしい。だが、どうも俺はその言葉が好きではない。
なぜかと言えば、ただの略称のくせにパンツという言葉が勝手に入っているからだ。そこにはいわゆる「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」的なところを強く押し出す面がある。俺はそこが好きになれない。
早い話、スト魔女を「バカアニメ」みたいな言い方をするのはどうにも納得いかない。
間違いなく大事な要素ではある。だが、それをツインエンジェルやミルキィなどのような「バカをやろう!」という判断のもとでバカをやっているアニメと並べて語るのは腐が落ちない…というより軽く怒りすら覚える。
そんなのよりももっと素晴らしい価値がスト魔女にはある…一期最終話を見ながらいつもそれを考えていた。
キャラの可愛さ、作画の良さ、脚本の王道さ、バカさ。そんな定型的なものではないその自分なりの答えを、劇場版を見終わったこの期に書いてみようと思う。

バトルというのは、アニメにおける非常に大事なものである。
バトルは情報量が多いメディアであればあるほどいい表現になる。小説のバトルより漫画のバトルの方が、漫画のそれよりアニメや映画のそれの方がいいことは説明するまでもないだろう。そういう意味で、逆にアニメや映画においてバトルというのは「見栄えを良くする」というような言葉でとても大切に扱われてきた。
それこそアニメ黎明期は派手なバトルばかりのロボットやヒーローもので子供たちに夢を与えるものがアニメのほとんどだった。もちろん心理描写や人間関係に重きを置いたアニメもあっただろうが、冒険やバトル抜きで成り立つのはギャグかスポーツくらいだったろう。スポーツもある意味バトルなわけで、それこそ本当にアニメ=バトルだった。
それと戦ったのが、ガンダムだ。
それこそ歴史上見渡しても、あれほど長くしっかりと戦闘状態に置かれた人たちの心を描いた表現物はないのではないだろうか。もちろんもともとのロボバトルの良さもしっかりと踏まえつつそこに緻密な心理描写を書いて成功した例としてこれほどぴったりなものはない。
そこから、シリアスなアニメにおいてバトルとは考えるものになった。
「本当に戦うことが正しいのか?」「相手にも正義があるんじゃないのか?」この手の葛藤を描くのはもはやテンプレを通り越して基本、つまりこれをやらないとシリアスでないとすら言われるほどになっていった。
そしてその基本は、今になってもクリエイターやアニメファンの心理の中に本当に深く根付いている。
最近ガンダムUCのエピソード4を見て、笑ってしまった。
とんでもない武器を持った主人公とその敵が、戦場のど真ん中で「争いはやめろ!無益だ!」「だが先にやったのはお前らだ!その復讐だ!」「復讐に意味なんてない!憎しみを断ち切らないと!」「無理だ!ここでやめたら家族への裏切りだ!」とまあ、本当にガンダムでやってたような問答を繰り返しながらドンパチしているのだ。
こんな滑稽なシーンあるだろうか?戦場である。その中心ともいえる武器を持った奴らである。そんな奴らがこんなこと考えながら戦うだろうか?ましてや思想信条語り合うだろうか?そりゃそういう考えも持つかもしらんが戦場にたったらそんなこと言う前にズドンだろう。ガンダムの時代ならまだいい。今は2012年である。いつまで似たような表現を繰り返すのか?
だがUCは多くの人に受け入れられ、シリアスなバトルを描いたアニメとして高く評価されている。なぜかと言えば、なんと問答が理屈としてわかるからだ。理屈の合う問答を書いたアニメは素晴らしい。合わない問答はガンダムやりたいだけの主人公正義アニメ。そしてそういうことを書かないいわゆる萌えアニメは、娯楽としてはいいが表現としてはうすっぺらくてガンダムなど昔の名作とは並べるべくもない。こんな発想がまだまだまかり通っている。

話を戻そう。
ストライクウィッチーズの主人公宮藤芳佳は、とにかく迷わない。
劇場版でとても印象に残ったシーンがある。芳佳がのる戦艦が氷山にぶつかり船内で火事が起こる。消火しようとある隊員が火災現場のすぐ近くでバルブをひねろうとするができない。その内に閉じ込められ、隊員は「自分もろとも注水してください!」という。誰もが諦め船長が注水命令を出すが、そこに水をかぶった芳佳が現れ、火災現場に行こうとする。それを付き人の服部が止める。「注水します!離れてください!」「でも中に人がいるんでしょ!?」「仕方ありません!船長命令です!」
そこで宮藤は、怒りの表情で即答する。「だから何なの!?」
まあ普通に見たら「さすが宮藤!」なシーンだが、俺はもう感動で胸が熱くなってしまった。
即答で「だから何なの!?」である。「でも、それでも!」とかではない。「見捨てられないんです!」とかではない。軍規を盾に見捨てる服部への怒りと共に、自らの正義を微塵に疑うこともなく断言する。
芳佳には葛藤という概念がほとんどない。いや、もちろん自分の正義において誰かに迷惑がかかることを懸念したりはするが、自分のやろうとすることに疑念などを持つことはない。少なくともそんな描写はひとつもない。
別に疑念を持つような要素がない主人公無双なシナリオというわけでもない。苦難はいくつも立ちはだかり、思うようにいかないことも何度もあり、時には仲間や上官から叱咤を受けることもあるが、それでも決して迷わずに、自分の正義をただ貫く。
その正義とはただ一つ、「大切な人を守りたい」という信条である。それは正義というにもおこがましいただの綺麗事とすら言えるが、そんな理想論を戦場という極限状態において迷わず振り回すその姿は、今までのバトルを描くアニメにはなかった姿である。
それを周りの仲間は何の抵抗もなく受け入れるということももちろんない。誰もが綺麗事だと笑い、そんなことで軍人が務まるかと、それこそガンダムのように叱責する。
だが、ガンダムと違うことは、主人公の方が正しくなるようにシナリオが動き、結果皆が認めるということだ。
これをご都合主義とする見方もあるだろう。だが、俺にはそれこそスタッフの想いだと思う。
くだらない感情で動き、ただひたすら綺麗事に邁進する。それもまたあるべき姿なのではないかと。そんなまっすぐな人が、戦場というマイナスに不条理な世界で、アニメならではの一気にプラスな不条理をぶち込みまくることによって、輝き報われ受け入れられていく。そんなアニメがあってもいいのではないのかと。
だからこそネウロイの出自などについて明確に語られることはないのだ。そんなことはどうでもいいから。書くべきは敵とそこで戦う女の子たちであり、設定がどうのとか勢力がどうのみたいなつまらん話はガン無視なのだ。意識的にアウトローとしてのバカをやるのではなく、バカをやることこそ正しいと信じている。
一期最終話、追い詰められネウロイに特攻しようとする坂本少佐に、芳佳は言い放つ。「それって諦めるってことですよね。私は、私は諦めたくありません!」リアリズムの象徴としての戦争と軍隊、それを打ち破るファンタジーの力。もし届かなくても、ダメになるかもしれなくても、理想論を信じて突き進むという決意。それは宮藤に力を与え、仲間を集め、ネウロイを打ち破る。そこで鳴り響くあのファンファーレのようなBGMは、ウジウジ正義なんてあやふやなものを必死に追い求めて、それっぽい答えを出して理論武装に安心するような凡百の質アニメなど比べものにならない感動を与えてくれる。それは決して萌えありきの王道なんて簡単な言葉ではない。ガンダムを通過し、エヴァを通過し、けいおんのような萌えアニメすら通過して存在するリアリティとファンタジーの絶妙な融合なのだ。
綺麗事や理想論を馬鹿にし、リアリティばかりを追求することは存外容易い。そして適当な作りとそれっぽい言葉で人を鼓舞した気になるのも簡単だ。だが、現実の厳しさをしっかりと認識し、それに見合った非常に緻密で真摯な演出とシナリオを描きながら、かつ最も大事なところでファンタジーの美しさ、力強さを与える…そう、夢を与えてくれる表現というのは、今本当に少ない。そこに一番近いところにいるのがアニメで、その中で最も輝きを放っているのはけいおん、アニメアイマス、そしてストライクウィッチーズだ。

ストライクウィッチーズ劇場版の最後に、「つづく」という文字が大きく出た。
きっとこれからも続いていくのだろう。素晴らしいことだ。けいおんやアイマスは今ある作品であまりにもラストとして完璧すぎるので、続きを期待するようなものではない。
だが、スト魔女は永遠に続いて欲しいと思う。なぜなら、ストライクウィッチーズの良さとは決してシナリオや設定、キャラや演出の良さではないから。ある種のコンセプト…というよりスタッフ共通の「かわいくてしっかりしててとても前向きなバトルアニメを作ろう」というような意識さえあれば、きっと大丈夫だろう。
そしてそういう意識は高村監督が根っこにあるのではないかと思っている。あまりしっかりと発言を追っているわけではないが、友達によれば「とにかくキャラを可愛く書いてくれ」という人らしい。そりゃ設定だの正義だのどうでもよくなるわけだ。元ガイナだし。ガイナは錦織さんと高村さんを生み出したことが最大の功績だな…今のバランス感覚ゼロのガイナアニメは好きになれないけど。
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