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俺はアニメの評論書とかいうものを一回も読んだことがない。
やたらアニメについて長々と書いといて何だが、むしろああいうものを毛嫌いしているとすら言っていい。
ユリイカとかオトナアニメ(笑)に載ってるクソみたいなお堅い文章なんてもう書店で火ぃつけてやろうかとすらたまに思う。
お前も同類やんけと言われて否定はできない。確かに俺がアイマスやけいおん、スト魔女や電波女で書いた駄長文と上で言う評論という物に客観的に見て大した差が明らかに存在するとはさすがにいえない(だいたい自分で評論と名をつけたわけだし)。
ただ、自分としては全く違うものだと思っている。
俺がアニメ評論家(特にそれで飯を食っている奴)が好きになれない大きな理由は、その姿勢というか、根本的な批評のスタンスにある。
まず彼らは基本的に「現在の作品」を評価しない。
いや、もちろん仕事ということで今話題の作品(例えばまどマギとか!まどマギとか!まぁどマギとか!)について一応書いてみたりはしている。だが、もう明らかにそこに熱はない。新たな着眼点とかもほとんどない。誰でもわかるようなつまらん一部分をたらたら書いて「まあいい作品ですよね」みたいなノリで終わる。
だいたい今話題の作品について(そのほとんどにおいて好意的な)評論している時点で終わっている。本来であれば評論とは自らの評価軸にその論理的正しさと希少度において価値を見出すものであり、今流行っているものが全部自分の評価軸にがっちりあっているなんて論理的にありえないし何よりそれじゃ希少度はゼロにちかい。
むしろ全く話題になっていない作品を、プロという地位を利用し、表現できる全ての媒体において誰もが納得するしかない論理的な評論を出してその作品の評価を上げたり、逆に話題の作品を正しくこき下ろし信者の目を覚まさせるのが評論家の役割ではないのか?
「この作品についてウンPお願いします」と編集から言われ、その通りなんかそれっぽい文章を書いてギャラをもらう奴を評論家と呼ぶのか?少なくとも音楽の世界ではそれを提灯ライターと呼ぶ。
といっても、まあ仕方ない部分はある。アニメという世界はこれ以上ないほど批評というものの価値が低い。誰もが論理的正しさや希少価値などに興味はなく、とりあえず紙面を整える文章を書かせるだけという宣伝媒体がほとんどである。
というわけでプロとしてある程度の提灯記事はしょうがない。しかし、今の時代ネットでいくらでも意見が言える。ブログやツイッターなら今のアニメに対し宣伝媒体では言えないようなしっかりとした意見が聞けるのではないか?
全くそんなことはない。
彼らがツイッターやブログで褒め称えるのは、過去の名作ばかりである。
宮崎駿は素晴らしい、ガンダムのこのシーンが最高、ボトムスこそ至高、いやいやハイジ…ど根性ガエル…ヤマト…そしてプロならではの豊富な資料をもとに細部に込められたクリエイターの意図を正確に暴き出していく。
バカか。
アニメ評論って答え合わせか?
知ってるよパヤオがすげーのは。ガンダムなんてお前から聞かなくてもそこらのガノタがアホみたいに賛美してるよ!ハイジぃ?ど根性ガエルぅ?!知るかよそんなもん!そりゃすげぇんだろうよ今の時代に残ってんだからな。
このシーンが金田さんで?あのシーンは大塚で?パヤオで?出崎で?で?だから何?誰もが認める偉人が作った反論しようのない名作を名作って評価して「俺はこのシーンがすげーと思う!」「いいや俺はこのシーンにはこういう意図が込められててこの主人公の少年性が!」「いやいや俺はヒロインの深層心理が!」「いやいや俺は…」一生やってろよ。
そして彼らは言外にこう示す。「それに比べて今のアニメは…」
確かに彼らの言うことは一理ある。いや、一理どころか全面的に正しい。宮崎駿はアニメ黎明期から現在に至るまでアニメ史に残る作品を生み出し続ける天才であり、金田氏がいなければ今のガイナの天才作画マンはいなかったであろう。彼らの仕事には素晴らしい芸術的意図が込められているのは明白であり、それを発見していくのも確かに評論家の仕事の一つとは言える。
しかしそれだけではない。
その積み重ねた知識と経験で、今氾濫するアニメに筋の通った評価軸を提示し、良作がしっかりと認められるように努力していくべきではないのか。
もしアニメに「正しい価値」などなく、評価軸は見た人がそれぞれ持つもので、押し付けるものではない…などという戯言がでてくるようであればもう知らんが。まあ本気で思ってそうだけど…上のような殊勝な感じじゃなく「分かってるやつとだけ話せればいい」的な上から目線で。

前も言ったが、結局のところアニメをアートと見るかポップカルチャーと見るかなのだと思う。
アートでの批評とポップカルチャーでの批評は全くと言っていいほど違う。アートでの批評とは長い歴史のおける文脈に基づいた、その文脈を把握した者たちだけによる固まった価値観と製作者の意図を照らし合わせた評価であり、それこそいまアニメ評論家がやっているようなことだ。
対してポップカルチャー(ロックや商業映画)に対する評論とは基本的に受け手主体であり、商業的であり、流動的であり、まあぶっちゃけて言えば「今に溢れる何も知らないアホに受けるかどうか」である。そこに基本的にはリテラシーは想定されず、むしろそれを前提とした作品はスノッブとして叩かれる(質アニメといってもいい)。
そして昔のアニメは(そういう目で見れば)アートであり、今のアニメはまごうことなくポップカルチャーである(と思う)。アニメをアートとして見る人であればそりゃ昔のアニメの方がいいに決まってるし、今の豚仕様アニメがハマるはずがない。
要するにオッサンということだ。ビートルズでヒャアヒャアいってるおっさんである。
なぜそう断言できるかといえば作り手はともかく今の受け手は完全にアニメをポップカルチャーとしてみているからだ。アニメにリテラシーなんて求める方がバカというスタイルがほとんどである。そんな人向けにアート評論やって心に響くはずがない。そしてそういうことを一切理解せずにひたすらアート評論を書きまくり、一部のアニメをアートとして見たがる同様のアニメ好き(若者も含まれているようなのが悲しい)に内輪でウケて終わる。ああなんてオナニー。
といっても、現状ポップカルチャーとしての評論の方がオナニーということは否めない。
今のアニメ好き(特に萌え豚)は評論…つまり客観的な評価軸というものに価値を見出していない(むしろ唾棄すべきものだという認識すらある)。彼らに向けた評論など誰も見向きはしないし、評論に興味を持つ人は上のようなアート評論を好むわけで、まあ確かにオナニーである。
だが、それもある意味今のアニメ評論家のせいだろう。提灯記事か無駄に専門用語を並べたオナニー記事しか書かないんじゃ萌え豚も評論を毛嫌いするのは当然だ。
解決策などない。いつかポップカルチャーとしての評論を主体とし、だが商業主義に流されない信念のある表現媒体が現れることを祈るしかない。そんなものは今の日本ではアニメ業界以外でもとても少ないが…それでも信じて待ち、暇なときにこうして叫ぶしかない。
自分でやろうかなと思ってた時期もありました。
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