ここは管理人u16の趣味雑記をのせたブログです
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「電波女と青春男」のアニメといえば,まあろくな評価を聞かない。エリオちゃんがかわいいだけのシャフト演出が鼻につく低予算ラノベアニメ。大体そんなところだろう。
正直言おう。俺も1,2話は見なかった。
暇つぶしに見たのが3話だったのは幸いといえよう。その3話もAパートはドン引きだった。リュウシさんがわかりやすいが,全体的に痛いギャグや言い回しは今でもさほど慣れない。
もちろん自分は全てのBDを買うほどのファンになったが,最近までその評価に客観性があるか疑っていたのも事実だ。それこそえむえむやおまひま,メイド様のような,たまたま俺の琴線に触れただけのクソアニメじゃないかと,BD買いながら悩む事もままあった。
しかし,届いたBDを見れば見るほど,引き込まれていく自分がいた。
なぜ引き込まれるのか。傍目にはただのラブコメにしか見えないこのアニメを2011年第三位にランクインさせたのはなぜか。エリオちゃんが可愛いから…というのももちろんというかものすごくあるのだが,むしろより批評的な視点から書いていきたいと思う。
電波女の主人公である丹羽真は,平々凡々な男である。とりたててイケメンでもなく,かといってやたら陰気でもなく,何が何でも正義を貫くわけでもないが目の前の悪事を見てみぬフリするほどでもない。まあよくあるラノベ主人公といえよう。
しかしひとつ普通の主人公と違う点と言えば,やはり青春ポイントなるものを自分の人生の行動指針に導入している事だ。
つまり普通より少し,日常から逸脱したイベントが好きなキャラなのだ。そのためにあらゆる行動を起こすというほどのものでもないが,少し頑張ってみるくらいの心持ちはある。
それがヒロインである藤和エリオと出会う。
こちらはもう少し逸脱したなどというレベルではない。文字通り電波女である。誘拐と記憶喪失という過去から自分は宇宙人であるという幻想をもち,地球人を視察するためと称し自らに布団を巻きつけ町を徘徊する。それが超然とした感じや夢を持っているというような美しい見方が物語においてされることは絶対にありえない。本当に社会的にはクズという扱いである。
それを見た主人公は,罪悪感と宇宙人のような神秘に対する自分なりのこだわりから,エリオの幻想を壊して現実逃避をやめさせる。それがアニメにおける三話であり,そこからはエリオが社会復帰を試みる話になる。
ここでまず面白いところが,社会復帰しようとするエリオに対する人々の態度が普通に冷たいところだろう。
ラノベだからという言い訳でちょっと変人程度の扱いに抑えることは無い。街の人々はバイトしたいというエリオをけんもほろろに突き放し,ようやく見つけたバイト先に来た学校の生徒はもう来るのをやめようと言い出す。しかもそのような人が物語として「ひどい奴」という扱いをされることもない。主人公もその友達も,そういう人を見て糾弾するわけでもなく懇願するわけでもなく,悲しみと諦めをもって落ち込むだけである。
この全体的なキャラ配置とプロットを見て,俺はハルヒを思い出した。
平凡な主人公が破天荒なヒロインに巻き込まれ,色んな非日常を経験する。ライトノベルにおいて最早フォーマットといってもいいほど溢れている設定でもある。
それほどハルヒが受け入れられた要因としては,もちろんかわいらしいキャラとのいぢ絵もあるだろうが,時代性もあるだろうと思う。
つまり平穏を望むオタクたちの主人公とのシンクロと,ほんの少しの非日常への渇望を満たす破天荒なヒロイン。セカイ系を通過した故のアンチ熱血,非社会性をある程度保持しつつ,エンターティメントとして成り立つ程度のイベントも持ち合わせている上手いキャラ配置だと思う。また,著者谷川流の時代性に対する文学者としての自覚が滲み出たキョンの独白もまた,ユリイカその他つまらん社会派オタクの受け皿として機能しているのだろう。
逆にもう少し右派の識者から「少しリアルにしただけでメンヘラ美少女を助けるクールな俺というオナニー視点から脱却していない」という批判も見受けられたが,まあそこは時代性にどこまで接近するかという価値観の違いだろう。
そのハルヒフォロワーの一つとしての電波女である。
ハルヒと違う点は,主人公がキョンより少し非日常を欲している点,そしてヒロインが本当にメンヘラな社会的クズだという点だろう。
エリオの非社会性,そして主人公への依存っぷりはセカイ系にまで退化しているとも考えられるが,しかし主人公の態度はむしろさらに以前,ある種の熱血のような要素を持っている。
そこの違いでハルヒとの差異を計り,エリオその他かわいいヒロイン達で萌え豚を釣りつつハルヒとは逆の流れ…つまりヒロインにつられ非日常に飛び込むのではなく,ヒロインを日常へと戻すために四苦八苦していくのかな…と考えていた。
しかし,ヤシロが現れた辺りから,どうやら自分の予想とは違う方向だと気づいた。
ハルヒの素晴らしい点は,エヴァ的なアンチ熱血の要素もありつつ,結局ハルヒというキャラを通して熱血という価値観を再評価しているところにある。それが消失であり,俺はそこでようやくハルヒという話のテーマを理解して感動したのだ。
しかし電波女の場合,ヒロインは熱血としての上を向いた非日常ではなく,それとは真逆のニートや引きこもりといった本当の社会的クズという非日常である。
だからこそそれを助けるという構図になり,そこに熱血要素はなく,言ってしまえば先述したハルヒへの批判がそのまま当てはまってしまうような話になってしまうと俺は予想していた。
だが,ヤシロは叫ぶ,「夢を見る事の何が悪い。信じる力を知れ!」と。
これは主人公の視座に対する批判である。しかし,この物語における主人公と対比される視座はエリオであり,社会的クズである。ヤシロの言葉はこう言い換えられるのだ。「社会的クズで何が悪い!」と。
従来の熱血とはある意味右翼的なものであり,それへのアンチとしていわゆるセカイ系…幸せを目指して四苦八苦する事の愚かさを伝える物語があった。ヤシロの言葉は字面だけ見れば旧来の右翼的熱血だが,その実セカイ系のような主張をしているのだ。
それを顕著に表しているのが最終話である。最後にヤシロは超能力で主人公を助け,消える。そして主人公は否定したはずの宇宙人の存在を考え,苦悩する。「俺は本当に正しい事をしたのか?エリオは正しかったんじゃないのか?」。そこで終わってしまっているので何ともいえないが,ここには青春と電波の差という命題がある。青春という古臭い熱血を象徴する言葉は,実は電波というアウトローと繋がっている…そういう命題だ。これほど両義的な主張を,ハルヒよりさらにスノッブさを捨てて表現するこのシナリオは,それだけを見れば本当に驚くべきものであると思う。
もちろん俺の妄想である可能性もある。これは単純にハルヒ的な話であり,エリオがハルヒのような熱血キャラじゃないのは萌え的な趣味だけのためで,オチはエリオが社会復帰して終わり。十分にありえる。だが,沿う思えない何かが,このアニメの至る所に散見されるのもまた事実だ。
しかしそのシナリオに見合ったアニメ力がこのアニメにあったか…それは難しいところだ。
作画はBDでもいいとは言えなかった。演出としても基本的にはシャフト演出であり,これほど繊細なシナリオに適しているかと言われればもっと合う演出があったと思う。
だがそれでも,決してクソの一言で終わらせられるものでもない。
明らかにシャフトの中では物語を強く意識した演出になっている。カメラワークや時間の取り方こそ特異なものの,全体としてはシャフトによくあるデザイン的な絵はほとんどなかった。これは今までのシャフト作品にはなかったものだ。
また,一枚絵を強く打ち出した演出に,西田亜沙子の美麗な絵も非常によく合っていた。撮影効果も話の邪魔になるほどでもなくかといって無意味でもなく,まさに効果的といっていい使い方だ。
それこそ新房演出からの脱却とすらいえると思う。まだまだ未完成なところも多々あるが,この流れを「いつものシャフト演出」で切り捨てるのはさすがに偏見と言わざるを得ない。むしろあの花のような,実写を強く意識しつつセンスがないせいで凡庸に終わっているものよりはずっと刺激的だった。諸手を挙げて褒められるものではないが,チャレンジとして見所の全く無いものでもない。
音楽もよくあるオーケストラやバンドサウンドではなく,エレクトロニカを主体とした清涼なもので,雰囲気に合っていた。作曲家であるFranz Maxwell Ⅰ.というのはタイトルのつけ方も面白いしなぜかキャラソンの作詞までしていたりするし,これから注目していきたい作曲家だ。
そして何よりこのアニメを語る上で欠かせないのはOPである。
神聖かまってちゃんほど上で上げたシナリオのテーマに合うアーティストもいない。それこそ本当にガチの引きこもりだったの子率いるかまってちゃんが,日本の音楽界で受け入れられている構図は上のアウトローと熱血の対比に当てはまる。かまってちゃんのメンバーがバックを演奏する中,エリオの声優である大亀あすかが決して上手くない歌声で「きっとあなたしか受信できないの」と叫ぶこのOPは,掛け値なしに最高だ。最初TBSに反対されたときに必死にこれを推した新房とアニプレのプロデューサーには心からの賛辞を贈りたい。
と,ここまで言っておきながら凄い事を言うが俺は原作を全部読んでいない。一巻だけ買ったが文体があまりに合わなくてそれ以上買う力が湧かなかった。しかも全部読んだ友達によれば特に鬱展開もなく普通の話らしい。まあ別に鬱展開が必須というわけではないが普通なのか…というわけで躊躇している現在である。出来れば続きはアニメで見たいし。
原作者の入間人間は結構人気があるらしく,そのためこれもBDはそれなりに売れたらしい。ぜひ二期をやって,俺が言ったテーマの結末を教えて欲しい。シャフトは意外とやり捨ての作品がない印象なので,結構期待している。二期もぜひかまってちゃんでお願いします。
正直言おう。俺も1,2話は見なかった。
暇つぶしに見たのが3話だったのは幸いといえよう。その3話もAパートはドン引きだった。リュウシさんがわかりやすいが,全体的に痛いギャグや言い回しは今でもさほど慣れない。
もちろん自分は全てのBDを買うほどのファンになったが,最近までその評価に客観性があるか疑っていたのも事実だ。それこそえむえむやおまひま,メイド様のような,たまたま俺の琴線に触れただけのクソアニメじゃないかと,BD買いながら悩む事もままあった。
しかし,届いたBDを見れば見るほど,引き込まれていく自分がいた。
なぜ引き込まれるのか。傍目にはただのラブコメにしか見えないこのアニメを2011年第三位にランクインさせたのはなぜか。エリオちゃんが可愛いから…というのももちろんというかものすごくあるのだが,むしろより批評的な視点から書いていきたいと思う。
電波女の主人公である丹羽真は,平々凡々な男である。とりたててイケメンでもなく,かといってやたら陰気でもなく,何が何でも正義を貫くわけでもないが目の前の悪事を見てみぬフリするほどでもない。まあよくあるラノベ主人公といえよう。
しかしひとつ普通の主人公と違う点と言えば,やはり青春ポイントなるものを自分の人生の行動指針に導入している事だ。
つまり普通より少し,日常から逸脱したイベントが好きなキャラなのだ。そのためにあらゆる行動を起こすというほどのものでもないが,少し頑張ってみるくらいの心持ちはある。
それがヒロインである藤和エリオと出会う。
こちらはもう少し逸脱したなどというレベルではない。文字通り電波女である。誘拐と記憶喪失という過去から自分は宇宙人であるという幻想をもち,地球人を視察するためと称し自らに布団を巻きつけ町を徘徊する。それが超然とした感じや夢を持っているというような美しい見方が物語においてされることは絶対にありえない。本当に社会的にはクズという扱いである。
それを見た主人公は,罪悪感と宇宙人のような神秘に対する自分なりのこだわりから,エリオの幻想を壊して現実逃避をやめさせる。それがアニメにおける三話であり,そこからはエリオが社会復帰を試みる話になる。
ここでまず面白いところが,社会復帰しようとするエリオに対する人々の態度が普通に冷たいところだろう。
ラノベだからという言い訳でちょっと変人程度の扱いに抑えることは無い。街の人々はバイトしたいというエリオをけんもほろろに突き放し,ようやく見つけたバイト先に来た学校の生徒はもう来るのをやめようと言い出す。しかもそのような人が物語として「ひどい奴」という扱いをされることもない。主人公もその友達も,そういう人を見て糾弾するわけでもなく懇願するわけでもなく,悲しみと諦めをもって落ち込むだけである。
この全体的なキャラ配置とプロットを見て,俺はハルヒを思い出した。
平凡な主人公が破天荒なヒロインに巻き込まれ,色んな非日常を経験する。ライトノベルにおいて最早フォーマットといってもいいほど溢れている設定でもある。
それほどハルヒが受け入れられた要因としては,もちろんかわいらしいキャラとのいぢ絵もあるだろうが,時代性もあるだろうと思う。
つまり平穏を望むオタクたちの主人公とのシンクロと,ほんの少しの非日常への渇望を満たす破天荒なヒロイン。セカイ系を通過した故のアンチ熱血,非社会性をある程度保持しつつ,エンターティメントとして成り立つ程度のイベントも持ち合わせている上手いキャラ配置だと思う。また,著者谷川流の時代性に対する文学者としての自覚が滲み出たキョンの独白もまた,ユリイカその他つまらん社会派オタクの受け皿として機能しているのだろう。
逆にもう少し右派の識者から「少しリアルにしただけでメンヘラ美少女を助けるクールな俺というオナニー視点から脱却していない」という批判も見受けられたが,まあそこは時代性にどこまで接近するかという価値観の違いだろう。
そのハルヒフォロワーの一つとしての電波女である。
ハルヒと違う点は,主人公がキョンより少し非日常を欲している点,そしてヒロインが本当にメンヘラな社会的クズだという点だろう。
エリオの非社会性,そして主人公への依存っぷりはセカイ系にまで退化しているとも考えられるが,しかし主人公の態度はむしろさらに以前,ある種の熱血のような要素を持っている。
そこの違いでハルヒとの差異を計り,エリオその他かわいいヒロイン達で萌え豚を釣りつつハルヒとは逆の流れ…つまりヒロインにつられ非日常に飛び込むのではなく,ヒロインを日常へと戻すために四苦八苦していくのかな…と考えていた。
しかし,ヤシロが現れた辺りから,どうやら自分の予想とは違う方向だと気づいた。
ハルヒの素晴らしい点は,エヴァ的なアンチ熱血の要素もありつつ,結局ハルヒというキャラを通して熱血という価値観を再評価しているところにある。それが消失であり,俺はそこでようやくハルヒという話のテーマを理解して感動したのだ。
しかし電波女の場合,ヒロインは熱血としての上を向いた非日常ではなく,それとは真逆のニートや引きこもりといった本当の社会的クズという非日常である。
だからこそそれを助けるという構図になり,そこに熱血要素はなく,言ってしまえば先述したハルヒへの批判がそのまま当てはまってしまうような話になってしまうと俺は予想していた。
だが,ヤシロは叫ぶ,「夢を見る事の何が悪い。信じる力を知れ!」と。
これは主人公の視座に対する批判である。しかし,この物語における主人公と対比される視座はエリオであり,社会的クズである。ヤシロの言葉はこう言い換えられるのだ。「社会的クズで何が悪い!」と。
従来の熱血とはある意味右翼的なものであり,それへのアンチとしていわゆるセカイ系…幸せを目指して四苦八苦する事の愚かさを伝える物語があった。ヤシロの言葉は字面だけ見れば旧来の右翼的熱血だが,その実セカイ系のような主張をしているのだ。
それを顕著に表しているのが最終話である。最後にヤシロは超能力で主人公を助け,消える。そして主人公は否定したはずの宇宙人の存在を考え,苦悩する。「俺は本当に正しい事をしたのか?エリオは正しかったんじゃないのか?」。そこで終わってしまっているので何ともいえないが,ここには青春と電波の差という命題がある。青春という古臭い熱血を象徴する言葉は,実は電波というアウトローと繋がっている…そういう命題だ。これほど両義的な主張を,ハルヒよりさらにスノッブさを捨てて表現するこのシナリオは,それだけを見れば本当に驚くべきものであると思う。
もちろん俺の妄想である可能性もある。これは単純にハルヒ的な話であり,エリオがハルヒのような熱血キャラじゃないのは萌え的な趣味だけのためで,オチはエリオが社会復帰して終わり。十分にありえる。だが,沿う思えない何かが,このアニメの至る所に散見されるのもまた事実だ。
しかしそのシナリオに見合ったアニメ力がこのアニメにあったか…それは難しいところだ。
作画はBDでもいいとは言えなかった。演出としても基本的にはシャフト演出であり,これほど繊細なシナリオに適しているかと言われればもっと合う演出があったと思う。
だがそれでも,決してクソの一言で終わらせられるものでもない。
明らかにシャフトの中では物語を強く意識した演出になっている。カメラワークや時間の取り方こそ特異なものの,全体としてはシャフトによくあるデザイン的な絵はほとんどなかった。これは今までのシャフト作品にはなかったものだ。
また,一枚絵を強く打ち出した演出に,西田亜沙子の美麗な絵も非常によく合っていた。撮影効果も話の邪魔になるほどでもなくかといって無意味でもなく,まさに効果的といっていい使い方だ。
それこそ新房演出からの脱却とすらいえると思う。まだまだ未完成なところも多々あるが,この流れを「いつものシャフト演出」で切り捨てるのはさすがに偏見と言わざるを得ない。むしろあの花のような,実写を強く意識しつつセンスがないせいで凡庸に終わっているものよりはずっと刺激的だった。諸手を挙げて褒められるものではないが,チャレンジとして見所の全く無いものでもない。
音楽もよくあるオーケストラやバンドサウンドではなく,エレクトロニカを主体とした清涼なもので,雰囲気に合っていた。作曲家であるFranz Maxwell Ⅰ.というのはタイトルのつけ方も面白いしなぜかキャラソンの作詞までしていたりするし,これから注目していきたい作曲家だ。
そして何よりこのアニメを語る上で欠かせないのはOPである。
神聖かまってちゃんほど上で上げたシナリオのテーマに合うアーティストもいない。それこそ本当にガチの引きこもりだったの子率いるかまってちゃんが,日本の音楽界で受け入れられている構図は上のアウトローと熱血の対比に当てはまる。かまってちゃんのメンバーがバックを演奏する中,エリオの声優である大亀あすかが決して上手くない歌声で「きっとあなたしか受信できないの」と叫ぶこのOPは,掛け値なしに最高だ。最初TBSに反対されたときに必死にこれを推した新房とアニプレのプロデューサーには心からの賛辞を贈りたい。
と,ここまで言っておきながら凄い事を言うが俺は原作を全部読んでいない。一巻だけ買ったが文体があまりに合わなくてそれ以上買う力が湧かなかった。しかも全部読んだ友達によれば特に鬱展開もなく普通の話らしい。まあ別に鬱展開が必須というわけではないが普通なのか…というわけで躊躇している現在である。出来れば続きはアニメで見たいし。
原作者の入間人間は結構人気があるらしく,そのためこれもBDはそれなりに売れたらしい。ぜひ二期をやって,俺が言ったテーマの結末を教えて欲しい。シャフトは意外とやり捨ての作品がない印象なので,結構期待している。二期もぜひかまってちゃんでお願いします。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新コメント
[07/06 クロムハーツバッグ激安コピー]
[07/04 クロムハーツ クロスボタン コピー]
[07/03 クロムハーツ コピーブランド シャツ]
[06/19 http://hncyp.com]
[06/18 http://hnbjs.net]
最新記事
(09/26)
(09/10)
(12/31)
(08/16)
(07/26)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
u16
性別:
男性
趣味:
音楽アニメ漫画鑑賞
自己紹介:
キモオタ
好きなアニメ:
パトレイバー劇場版2.瀬戸の花嫁
好きな音楽のアーティスト:
モグワイ,スピッツ
好きな漫画:
宮本から君へ,ガンスリンガーガール
好きなラノベ:
イリヤの空,UFOの夏
好きなアニメ:
パトレイバー劇場版2.瀬戸の花嫁
好きな音楽のアーティスト:
モグワイ,スピッツ
好きな漫画:
宮本から君へ,ガンスリンガーガール
好きなラノベ:
イリヤの空,UFOの夏
ブログ内検索
P R
アクセス解析
フリーエリア