ここは管理人u16の趣味雑記をのせたブログです
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ストライクウィッチーズは素晴らしい作品だろうか?
キャラはとても可愛い。話も王道ながらしっかりしている。作画も基本的にはいい。笑いあり、涙あり、燃えあり。とても素晴らしい娯楽作品である。
バカというのも非常に大事な要素ではある。二十歳以下の女の子に魔法力なるものがあるという荒唐無稽な設定。しかも普通に履いてない。そういうこまけえことはいいんだノリが大事という意見も聞く。
それだけだろうか。
少し話は変わるが、俺はストライクウィッチーズのことをスト魔女と略す。巷ではストパンが普通らしい。だが、どうも俺はその言葉が好きではない。
なぜかと言えば、ただの略称のくせにパンツという言葉が勝手に入っているからだ。そこにはいわゆる「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」的なところを強く押し出す面がある。俺はそこが好きになれない。
早い話、スト魔女を「バカアニメ」みたいな言い方をするのはどうにも納得いかない。
間違いなく大事な要素ではある。だが、それをツインエンジェルやミルキィなどのような「バカをやろう!」という判断のもとでバカをやっているアニメと並べて語るのは腐が落ちない…というより軽く怒りすら覚える。
そんなのよりももっと素晴らしい価値がスト魔女にはある…一期最終話を見ながらいつもそれを考えていた。
キャラの可愛さ、作画の良さ、脚本の王道さ、バカさ。そんな定型的なものではないその自分なりの答えを、劇場版を見終わったこの期に書いてみようと思う。

バトルというのは、アニメにおける非常に大事なものである。
バトルは情報量が多いメディアであればあるほどいい表現になる。小説のバトルより漫画のバトルの方が、漫画のそれよりアニメや映画のそれの方がいいことは説明するまでもないだろう。そういう意味で、逆にアニメや映画においてバトルというのは「見栄えを良くする」というような言葉でとても大切に扱われてきた。
それこそアニメ黎明期は派手なバトルばかりのロボットやヒーローもので子供たちに夢を与えるものがアニメのほとんどだった。もちろん心理描写や人間関係に重きを置いたアニメもあっただろうが、冒険やバトル抜きで成り立つのはギャグかスポーツくらいだったろう。スポーツもある意味バトルなわけで、それこそ本当にアニメ=バトルだった。
それと戦ったのが、ガンダムだ。
それこそ歴史上見渡しても、あれほど長くしっかりと戦闘状態に置かれた人たちの心を描いた表現物はないのではないだろうか。もちろんもともとのロボバトルの良さもしっかりと踏まえつつそこに緻密な心理描写を書いて成功した例としてこれほどぴったりなものはない。
そこから、シリアスなアニメにおいてバトルとは考えるものになった。
「本当に戦うことが正しいのか?」「相手にも正義があるんじゃないのか?」この手の葛藤を描くのはもはやテンプレを通り越して基本、つまりこれをやらないとシリアスでないとすら言われるほどになっていった。
そしてその基本は、今になってもクリエイターやアニメファンの心理の中に本当に深く根付いている。
最近ガンダムUCのエピソード4を見て、笑ってしまった。
とんでもない武器を持った主人公とその敵が、戦場のど真ん中で「争いはやめろ!無益だ!」「だが先にやったのはお前らだ!その復讐だ!」「復讐に意味なんてない!憎しみを断ち切らないと!」「無理だ!ここでやめたら家族への裏切りだ!」とまあ、本当にガンダムでやってたような問答を繰り返しながらドンパチしているのだ。
こんな滑稽なシーンあるだろうか?戦場である。その中心ともいえる武器を持った奴らである。そんな奴らがこんなこと考えながら戦うだろうか?ましてや思想信条語り合うだろうか?そりゃそういう考えも持つかもしらんが戦場にたったらそんなこと言う前にズドンだろう。ガンダムの時代ならまだいい。今は2012年である。いつまで似たような表現を繰り返すのか?
だがUCは多くの人に受け入れられ、シリアスなバトルを描いたアニメとして高く評価されている。なぜかと言えば、なんと問答が理屈としてわかるからだ。理屈の合う問答を書いたアニメは素晴らしい。合わない問答はガンダムやりたいだけの主人公正義アニメ。そしてそういうことを書かないいわゆる萌えアニメは、娯楽としてはいいが表現としてはうすっぺらくてガンダムなど昔の名作とは並べるべくもない。こんな発想がまだまだまかり通っている。

話を戻そう。
ストライクウィッチーズの主人公宮藤芳佳は、とにかく迷わない。
劇場版でとても印象に残ったシーンがある。芳佳がのる戦艦が氷山にぶつかり船内で火事が起こる。消火しようとある隊員が火災現場のすぐ近くでバルブをひねろうとするができない。その内に閉じ込められ、隊員は「自分もろとも注水してください!」という。誰もが諦め船長が注水命令を出すが、そこに水をかぶった芳佳が現れ、火災現場に行こうとする。それを付き人の服部が止める。「注水します!離れてください!」「でも中に人がいるんでしょ!?」「仕方ありません!船長命令です!」
そこで宮藤は、怒りの表情で即答する。「だから何なの!?」
まあ普通に見たら「さすが宮藤!」なシーンだが、俺はもう感動で胸が熱くなってしまった。
即答で「だから何なの!?」である。「でも、それでも!」とかではない。「見捨てられないんです!」とかではない。軍規を盾に見捨てる服部への怒りと共に、自らの正義を微塵に疑うこともなく断言する。
芳佳には葛藤という概念がほとんどない。いや、もちろん自分の正義において誰かに迷惑がかかることを懸念したりはするが、自分のやろうとすることに疑念などを持つことはない。少なくともそんな描写はひとつもない。
別に疑念を持つような要素がない主人公無双なシナリオというわけでもない。苦難はいくつも立ちはだかり、思うようにいかないことも何度もあり、時には仲間や上官から叱咤を受けることもあるが、それでも決して迷わずに、自分の正義をただ貫く。
その正義とはただ一つ、「大切な人を守りたい」という信条である。それは正義というにもおこがましいただの綺麗事とすら言えるが、そんな理想論を戦場という極限状態において迷わず振り回すその姿は、今までのバトルを描くアニメにはなかった姿である。
それを周りの仲間は何の抵抗もなく受け入れるということももちろんない。誰もが綺麗事だと笑い、そんなことで軍人が務まるかと、それこそガンダムのように叱責する。
だが、ガンダムと違うことは、主人公の方が正しくなるようにシナリオが動き、結果皆が認めるということだ。
これをご都合主義とする見方もあるだろう。だが、俺にはそれこそスタッフの想いだと思う。
くだらない感情で動き、ただひたすら綺麗事に邁進する。それもまたあるべき姿なのではないかと。そんなまっすぐな人が、戦場というマイナスに不条理な世界で、アニメならではの一気にプラスな不条理をぶち込みまくることによって、輝き報われ受け入れられていく。そんなアニメがあってもいいのではないのかと。
だからこそネウロイの出自などについて明確に語られることはないのだ。そんなことはどうでもいいから。書くべきは敵とそこで戦う女の子たちであり、設定がどうのとか勢力がどうのみたいなつまらん話はガン無視なのだ。意識的にアウトローとしてのバカをやるのではなく、バカをやることこそ正しいと信じている。
一期最終話、追い詰められネウロイに特攻しようとする坂本少佐に、芳佳は言い放つ。「それって諦めるってことですよね。私は、私は諦めたくありません!」リアリズムの象徴としての戦争と軍隊、それを打ち破るファンタジーの力。もし届かなくても、ダメになるかもしれなくても、理想論を信じて突き進むという決意。それは宮藤に力を与え、仲間を集め、ネウロイを打ち破る。そこで鳴り響くあのファンファーレのようなBGMは、ウジウジ正義なんてあやふやなものを必死に追い求めて、それっぽい答えを出して理論武装に安心するような凡百の質アニメなど比べものにならない感動を与えてくれる。それは決して萌えありきの王道なんて簡単な言葉ではない。ガンダムを通過し、エヴァを通過し、けいおんのような萌えアニメすら通過して存在するリアリティとファンタジーの絶妙な融合なのだ。
綺麗事や理想論を馬鹿にし、リアリティばかりを追求することは存外容易い。そして適当な作りとそれっぽい言葉で人を鼓舞した気になるのも簡単だ。だが、現実の厳しさをしっかりと認識し、それに見合った非常に緻密で真摯な演出とシナリオを描きながら、かつ最も大事なところでファンタジーの美しさ、力強さを与える…そう、夢を与えてくれる表現というのは、今本当に少ない。そこに一番近いところにいるのがアニメで、その中で最も輝きを放っているのはけいおん、アニメアイマス、そしてストライクウィッチーズだ。

ストライクウィッチーズ劇場版の最後に、「つづく」という文字が大きく出た。
きっとこれからも続いていくのだろう。素晴らしいことだ。けいおんやアイマスは今ある作品であまりにもラストとして完璧すぎるので、続きを期待するようなものではない。
だが、スト魔女は永遠に続いて欲しいと思う。なぜなら、ストライクウィッチーズの良さとは決してシナリオや設定、キャラや演出の良さではないから。ある種のコンセプト…というよりスタッフ共通の「かわいくてしっかりしててとても前向きなバトルアニメを作ろう」というような意識さえあれば、きっと大丈夫だろう。
そしてそういう意識は高村監督が根っこにあるのではないかと思っている。あまりしっかりと発言を追っているわけではないが、友達によれば「とにかくキャラを可愛く書いてくれ」という人らしい。そりゃ設定だの正義だのどうでもよくなるわけだ。元ガイナだし。ガイナは錦織さんと高村さんを生み出したことが最大の功績だな…今のバランス感覚ゼロのガイナアニメは好きになれないけど。
アイマスBDが売れているようだ。
五巻だというのにあちこちで売り切れていて,アマゾンでも入荷待ちになっている。もちろんアニプレ作品としてはそれなりに広告をうっているが,決して力を入れているというほどでもなかったし,ネットでもさほど大きな話題になったわけでもないのに,きっちり売れている。
ホライゾンにも同じ事がいえる。前評判は最低だったし,広告なんてほとんど無かったというのに,二万枚を売る快挙を成し遂げた。これはアニメ業界が,邦画や邦楽のように広告先行の業界でない事を意味している。売れることと大宣伝をする事がイコールでないのだ。
しかし,未だにBDやDVDを買わないアニメ好きは少なくない。
あるアニメ会社の会社説明会で,「BDを買ったことがある人どのくらいいますか?」という質問で手を挙げたのは半分くらいだった。俺はそれでも多いなーと思ったが,冷静に考えたら「買ってる人」でなく「買ったことがある人」だ。それこそサマウォだけ,エヴァだけ,けいおんだけでもその中に入るわけで,日常的にBDを買っているとは限らない。
ネットでもやはり「アニメは見るが円盤は買わない」という人をよく見る。理由は様々だが,多いのは値段とそれに見合う内容がない事のようだ。まあ確かに地デジと(ほとんど…というのは小さいテレビの話で,でかいテレビだとかなり違うらしいが…どうなんだろ)変わらない画質でろくにプラス要素も無く6~9000円というのは高い。間違いなく高い。買わない人の気持ちもものすごくよくわかる。
だが,その説明会ではこんな話も聞いた。
「アニメを作ることによって色んな収益があるが,九割はパッケージ(つまりBDやDVD)によるもの。他は数%でしかない」
まあ会社説明会でそんなことを言うのもどうなんだと思うが,要するに視聴率だのアイテム収入なんてウンコみたいなもので,BDを買わなければ間違いなくアニメ業界は廃るわけだ。
だからBDを買わなくてはいけない…とはいかないだろう。
まず,根底として「別にアニメが今後どうなろうと知ったこっちゃない。今好きだから見るだけで潰れたらそれまで」という人もいるだろう。それは倫理的問題で論理的問題ではない。それはそれでいいんじゃないだろうか。ただ俺はそんな奴がアニメを語るなんてヘソが茶を沸かすが。
また,「今の市場規模がおかしい。パッケージによる直接収入なんてやめて,競争原理がなかった時代に戻るべき」という考えもいるかと思う。つまり90年代の,一部の天才と一部の好事家だけのものだった時代のほうがよかったと。
まあこの不景気にそんな甘いことでアニメみたいな金のかかる文化がやっていけるのかという疑問もあるが,それも難しい問題だ。市場規模が増えた事で失ったものも間違いなくある。現在の押井守はまだいない。庵野もいない。そういうことだ。
だがそれはある文化の成長過程で当然の事だと思う。一部の天才がサブカルチャーをメインカルチャーに押し上げ,バブルのようにあらゆる作品が生まれ,アンダーグラウンドとオーバーグランドに分かれ,前者が腐れ落ち後者が前者に入れ替わる。それがロックや映画のようなポップカルチャーで,そうでないのがジャズや演劇のようなアート文化だ。
アニメはどちらか。それはわからないが俺はポップカルチャーだろうと思う。なぜかと言えば色々理由はあるが,結局のところ俺がそうあってほしいから。ただどちらであるべきかに答えはないといわざるを得ない。
だが今明らかにアニメはポップカルチャーで,もし今のアニメが好きならば,絶対にBDを買うべきだ。
BDを買わない他の意見としては,「商品として値段ほどの価値がないのは間違いないのに,業界を支えるというような理由を押し付け買えというのは間違ってはいまいか」というのもあるだろう。
正直これが一番痛い。かなり正しい。六時間の映像作品に四万円強。映画はBDでも四千円くらいだろう。時間単位で三倍近く違う。しかも映画はかなり特典がつくのに,アニメはオーディオコメンタリーだのドラマCDだのアニメ好きという要素とおよそリンクしないものしかつかない。単純に商品としての魅力は本当に乏しい。
そしてそれを補うための理由である「業界のため」。しかしこの理由は先ほど自分がいった「アニメはポップカルチャーだ」という主張とかなり相反する。そんな意識がないと売れない文化をポップと呼んでいいのか。
結局この問題は今アニメという文化がかなりイレギュラーで,かつ発展途上であるという事実に起因すると考える。
アニメには,パッケージをアニメ会社が売りそれを支持する客が買うという,音楽レベルのダイレクトな構図がある(この際アニメ会社とクリエイターとの距離なんていう陰謀論はスルーする。大体サンライズはバンビジュの,A-1はアニプレの子会社である)。
対して映画は興行収入,ドラマはスポンサーという存在がある。上のようなアニメにおけるダイレクトな構図がないので,逆に買おうと思うと安くなるのだ(邦楽は悪名高き再販制度のせいでBDレベルにパッケージが高いし,ネットに対する対策をほとんどしなかったせいで業界が廃れている)。
また,現在ほとんどのポップカルチャーは成熟しきり,むしろ腐っているわけだが,アニメはその中で唯一といっていいほど発展途上である。それゆえに市場その他販売ルートや収入モデルも整備されておらず,パッケージの異様な値段(と文化の隆盛に反した製作現場の困窮)が解決されていないのだ。
結論として,BDの商品価値の低さは,時間が解決すると思う。
なんじゃそりゃ!と言われそうだし,正直胸を張っていうような結論でもないが,もしこのまま下がらなければ,それは要するに90年代に逆戻りするだけだ。アニメにポップカルチャーとしての力は無く,それこそアート…というよりプロレスやアイドル文化のようなサブカルチャーレベルの力しかないという事だろう。
逆にもし文化としての力があれば,自然とBDの売上の平均値は上昇していく。そうすればそれとともにパッケージ自体の値段も下がって行くのが市場原理というものだ。まあ付加価値は今以上になる事はないと思う。何せ単純な特典映像を作るのがアニメは難しすぎるから…一分あたり十万くらいかかるらしい。

最終的に,今BDを買わない人に言う事は,「いつか値段が下がる。そのためには今BD買わなくちゃいけない!だから買おう!」かな。「業界を支える」より面倒かつ正しいかもわからない理由だけど。
まあうだうだいったけどぶっちゃけあれほどクリエイターたちが買え買え言ってるのに買わないとかありえないと思うけどね!そりゃたけーけど六千だぜ!?買えよ!んな金ねーのかよ!今日び高校生でも持ってるぜそんくらい!どんだけ金ねーんだあほか!
まあ製作現場の困窮に関してはあとオタク業界特有の清貧主義による作り手の権利に対する意識の低さがあるけどそれはまたいつか。ほんとアニメ文化って面白いと思うわ。色んな意味で。
「電波女と青春男」のアニメといえば,まあろくな評価を聞かない。エリオちゃんがかわいいだけのシャフト演出が鼻につく低予算ラノベアニメ。大体そんなところだろう。
正直言おう。俺も1,2話は見なかった。
暇つぶしに見たのが3話だったのは幸いといえよう。その3話もAパートはドン引きだった。リュウシさんがわかりやすいが,全体的に痛いギャグや言い回しは今でもさほど慣れない。
もちろん自分は全てのBDを買うほどのファンになったが,最近までその評価に客観性があるか疑っていたのも事実だ。それこそえむえむやおまひま,メイド様のような,たまたま俺の琴線に触れただけのクソアニメじゃないかと,BD買いながら悩む事もままあった。
しかし,届いたBDを見れば見るほど,引き込まれていく自分がいた。
なぜ引き込まれるのか。傍目にはただのラブコメにしか見えないこのアニメを2011年第三位にランクインさせたのはなぜか。エリオちゃんが可愛いから…というのももちろんというかものすごくあるのだが,むしろより批評的な視点から書いていきたいと思う。

電波女の主人公である丹羽真は,平々凡々な男である。とりたててイケメンでもなく,かといってやたら陰気でもなく,何が何でも正義を貫くわけでもないが目の前の悪事を見てみぬフリするほどでもない。まあよくあるラノベ主人公といえよう。
しかしひとつ普通の主人公と違う点と言えば,やはり青春ポイントなるものを自分の人生の行動指針に導入している事だ。
つまり普通より少し,日常から逸脱したイベントが好きなキャラなのだ。そのためにあらゆる行動を起こすというほどのものでもないが,少し頑張ってみるくらいの心持ちはある。
それがヒロインである藤和エリオと出会う。
こちらはもう少し逸脱したなどというレベルではない。文字通り電波女である。誘拐と記憶喪失という過去から自分は宇宙人であるという幻想をもち,地球人を視察するためと称し自らに布団を巻きつけ町を徘徊する。それが超然とした感じや夢を持っているというような美しい見方が物語においてされることは絶対にありえない。本当に社会的にはクズという扱いである。
それを見た主人公は,罪悪感と宇宙人のような神秘に対する自分なりのこだわりから,エリオの幻想を壊して現実逃避をやめさせる。それがアニメにおける三話であり,そこからはエリオが社会復帰を試みる話になる。
ここでまず面白いところが,社会復帰しようとするエリオに対する人々の態度が普通に冷たいところだろう。
ラノベだからという言い訳でちょっと変人程度の扱いに抑えることは無い。街の人々はバイトしたいというエリオをけんもほろろに突き放し,ようやく見つけたバイト先に来た学校の生徒はもう来るのをやめようと言い出す。しかもそのような人が物語として「ひどい奴」という扱いをされることもない。主人公もその友達も,そういう人を見て糾弾するわけでもなく懇願するわけでもなく,悲しみと諦めをもって落ち込むだけである。
この全体的なキャラ配置とプロットを見て,俺はハルヒを思い出した。
平凡な主人公が破天荒なヒロインに巻き込まれ,色んな非日常を経験する。ライトノベルにおいて最早フォーマットといってもいいほど溢れている設定でもある。
それほどハルヒが受け入れられた要因としては,もちろんかわいらしいキャラとのいぢ絵もあるだろうが,時代性もあるだろうと思う。
つまり平穏を望むオタクたちの主人公とのシンクロと,ほんの少しの非日常への渇望を満たす破天荒なヒロイン。セカイ系を通過した故のアンチ熱血,非社会性をある程度保持しつつ,エンターティメントとして成り立つ程度のイベントも持ち合わせている上手いキャラ配置だと思う。また,著者谷川流の時代性に対する文学者としての自覚が滲み出たキョンの独白もまた,ユリイカその他つまらん社会派オタクの受け皿として機能しているのだろう。
逆にもう少し右派の識者から「少しリアルにしただけでメンヘラ美少女を助けるクールな俺というオナニー視点から脱却していない」という批判も見受けられたが,まあそこは時代性にどこまで接近するかという価値観の違いだろう。
そのハルヒフォロワーの一つとしての電波女である。
ハルヒと違う点は,主人公がキョンより少し非日常を欲している点,そしてヒロインが本当にメンヘラな社会的クズだという点だろう。
エリオの非社会性,そして主人公への依存っぷりはセカイ系にまで退化しているとも考えられるが,しかし主人公の態度はむしろさらに以前,ある種の熱血のような要素を持っている。
そこの違いでハルヒとの差異を計り,エリオその他かわいいヒロイン達で萌え豚を釣りつつハルヒとは逆の流れ…つまりヒロインにつられ非日常に飛び込むのではなく,ヒロインを日常へと戻すために四苦八苦していくのかな…と考えていた。
しかし,ヤシロが現れた辺りから,どうやら自分の予想とは違う方向だと気づいた。
ハルヒの素晴らしい点は,エヴァ的なアンチ熱血の要素もありつつ,結局ハルヒというキャラを通して熱血という価値観を再評価しているところにある。それが消失であり,俺はそこでようやくハルヒという話のテーマを理解して感動したのだ。
しかし電波女の場合,ヒロインは熱血としての上を向いた非日常ではなく,それとは真逆のニートや引きこもりといった本当の社会的クズという非日常である。
だからこそそれを助けるという構図になり,そこに熱血要素はなく,言ってしまえば先述したハルヒへの批判がそのまま当てはまってしまうような話になってしまうと俺は予想していた。
だが,ヤシロは叫ぶ,「夢を見る事の何が悪い。信じる力を知れ!」と。
これは主人公の視座に対する批判である。しかし,この物語における主人公と対比される視座はエリオであり,社会的クズである。ヤシロの言葉はこう言い換えられるのだ。「社会的クズで何が悪い!」と。
従来の熱血とはある意味右翼的なものであり,それへのアンチとしていわゆるセカイ系…幸せを目指して四苦八苦する事の愚かさを伝える物語があった。ヤシロの言葉は字面だけ見れば旧来の右翼的熱血だが,その実セカイ系のような主張をしているのだ。
それを顕著に表しているのが最終話である。最後にヤシロは超能力で主人公を助け,消える。そして主人公は否定したはずの宇宙人の存在を考え,苦悩する。「俺は本当に正しい事をしたのか?エリオは正しかったんじゃないのか?」。そこで終わってしまっているので何ともいえないが,ここには青春と電波の差という命題がある。青春という古臭い熱血を象徴する言葉は,実は電波というアウトローと繋がっている…そういう命題だ。これほど両義的な主張を,ハルヒよりさらにスノッブさを捨てて表現するこのシナリオは,それだけを見れば本当に驚くべきものであると思う。
もちろん俺の妄想である可能性もある。これは単純にハルヒ的な話であり,エリオがハルヒのような熱血キャラじゃないのは萌え的な趣味だけのためで,オチはエリオが社会復帰して終わり。十分にありえる。だが,沿う思えない何かが,このアニメの至る所に散見されるのもまた事実だ。

しかしそのシナリオに見合ったアニメ力がこのアニメにあったか…それは難しいところだ。
作画はBDでもいいとは言えなかった。演出としても基本的にはシャフト演出であり,これほど繊細なシナリオに適しているかと言われればもっと合う演出があったと思う。
だがそれでも,決してクソの一言で終わらせられるものでもない。
明らかにシャフトの中では物語を強く意識した演出になっている。カメラワークや時間の取り方こそ特異なものの,全体としてはシャフトによくあるデザイン的な絵はほとんどなかった。これは今までのシャフト作品にはなかったものだ。
また,一枚絵を強く打ち出した演出に,西田亜沙子の美麗な絵も非常によく合っていた。撮影効果も話の邪魔になるほどでもなくかといって無意味でもなく,まさに効果的といっていい使い方だ。
それこそ新房演出からの脱却とすらいえると思う。まだまだ未完成なところも多々あるが,この流れを「いつものシャフト演出」で切り捨てるのはさすがに偏見と言わざるを得ない。むしろあの花のような,実写を強く意識しつつセンスがないせいで凡庸に終わっているものよりはずっと刺激的だった。諸手を挙げて褒められるものではないが,チャレンジとして見所の全く無いものでもない。
音楽もよくあるオーケストラやバンドサウンドではなく,エレクトロニカを主体とした清涼なもので,雰囲気に合っていた。作曲家であるFranz Maxwell Ⅰ.というのはタイトルのつけ方も面白いしなぜかキャラソンの作詞までしていたりするし,これから注目していきたい作曲家だ。
そして何よりこのアニメを語る上で欠かせないのはOPである。
神聖かまってちゃんほど上で上げたシナリオのテーマに合うアーティストもいない。それこそ本当にガチの引きこもりだったの子率いるかまってちゃんが,日本の音楽界で受け入れられている構図は上のアウトローと熱血の対比に当てはまる。かまってちゃんのメンバーがバックを演奏する中,エリオの声優である大亀あすかが決して上手くない歌声で「きっとあなたしか受信できないの」と叫ぶこのOPは,掛け値なしに最高だ。最初TBSに反対されたときに必死にこれを推した新房とアニプレのプロデューサーには心からの賛辞を贈りたい。

と,ここまで言っておきながら凄い事を言うが俺は原作を全部読んでいない。一巻だけ買ったが文体があまりに合わなくてそれ以上買う力が湧かなかった。しかも全部読んだ友達によれば特に鬱展開もなく普通の話らしい。まあ別に鬱展開が必須というわけではないが普通なのか…というわけで躊躇している現在である。出来れば続きはアニメで見たいし。
原作者の入間人間は結構人気があるらしく,そのためこれもBDはそれなりに売れたらしい。ぜひ二期をやって,俺が言ったテーマの結末を教えて欲しい。シャフトは意外とやり捨ての作品がない印象なので,結構期待している。二期もぜひかまってちゃんでお願いします。
アニメ版アイドルマスターの放送が終わった。
素晴らしい最終回だった。ライブはOP曲をやってほしいと切に願っていたが,まさか両方やってくれるとは…作画も頑張りすぎだろ!サビのカメラが動くシーンとかなんだあれは。CGか。リアルのライブでも無理だぞ!新曲も超いい曲!メンバーの映像が映るシーンなんてもう涙腺がバッコーンって音して壊れたわ!最後の春香さん死ぬほどかわいいしED曲も最高だったし,まさに100点の最終回だった!

アイマスはけいおんに近いなーと思った。
話の半分以上はキャッキャウフフ回だし,時が経つにつれだんだん離れていってしまうみんなというモチーフも似ている。萌えのレベルも比肩しうる出来だ。けいおんが深さならアイマスは広さだろうか。もうとにかくみんな超かわいい。まさか全員の名前きっちり覚えられるとは思わなかった。そこらへんはスト魔女の方が近いけど(カップリング妄想したくなるあたりも。美希×真ブヒィ!)。
監督もそういういわゆる萌えアニメっぽい作りは意識してると思う。無難にアニメ化するんだったら全員担当回作ってクール終わりにライブ回して特にシリアスもなく…という風にしたほうがウケはいいだろうし,実際全キャラの担当回があった。監督はかなりアイマスが好きだと聞いているので,そういう面での差を作りたくなかったんだろう。もちろんその考えは大成功している。キャラをプレゼンするという側面ではこれ以上のアニメ化はあるまい。
だが監督はそれだけで終わらせなかった。
千早回から…といいたいところだが,上のようないわゆる萌えアニメ的な話から出るという意味だとやはり22,23,24話だろうか。というより,改めて本スレなどを覗いて気づかされたことだが,実はかなり前段階から前フリをしている作りである事がよく分かる。
だからこそ突然のシリアスにも違和感を感じない…いやそれどころか,来るべくしてきたという盛り上がりを感じさせる。そのシリーズ構成の妙には正直驚かされた。これほど壮大なSFアニメ以外で2クールやることの意義を感じたアニメはなかなか無い。
ただ,脚本として驚きの展開があるわけではない。大体は誰でも考え付くような話だし,最後の三話にしても奇をてらうものではなく,王道の話作りをしていると思う。ある意味エゴというか個性を感じさせない,普通の話だといえる。
じゃあ何で俺はここまでアイマスに惹かれるのか。
まず,最近のアニメにおいて王道が足りないからだと思う。
もうエゴ丸出しの訳の分からん話が多すぎる。または起伏の無いうっすーい話。要するに萌えだけに頼って他の良さを捨ててるのだ(けいおんがその典型やないかーい!という人は三つ前のブログ読んでね)。最近はまどマギやタイバニなどそうでもない話が増えてきてるが,ここまで完成度が高い王道ストーリーをしっかり書いているのは他に知らない。
しかし王道ストーリーというのは展開は誰でも読めるものなわけで,じゃあそこで大事なものは何かと言えば演出になる。
これがまた恐るべき極上の出来なのだ。
もういちいち枚挙するのがアホらしくなるほど全てが素晴らしいが,特に20話,23話,24話は国宝級だろう。単純な作画といい絵コンテといい,さすが元ガイナとしかいいようがない。千早回なんて脚本だけ読んだらそこらの同人誌レベルといっても過言じゃないが,絵作りの段階で嘘みたいなレベルアップが起きている。これほど話の段階でエゴを捨てられて,演出面を高クオリティに作れるバランス感覚のある人がアニメ業界に何人居るだろうか。
もちろん監督だけの功績ではないが(高雄氏,枡成氏も素晴らしい演出をしている),やはりガイナ的な生き生きとした作画と渋いカメラ運びはグレンラガンを作ったガイナ先鋭部隊の一員である錦織監督の存在が大きいと思う。(一つ間違ったら絶対トリガー入ってただろうな…でも出てくれてよかった。このバランスはトリガーにいたらつぶされてたと思う)。
そしてもう一つアイマスに心動かされる理由は,先述した根底の問題提起だ。
「アイドルとは何か」…というより,アニメ全編で春香さん含め765プロメンバーが考え抜いた問題は,「夢を追うにつれ仲間と離れ離れになっていく時,どうすべきなのか?」ということだろう(細かい話になるが,「アイドルとは何か」という問題を考えてることはなかったように思う。アイドルという客商売においてそのアイデンティティを考える場合ファンの存在を無視して語れるはずもないのに,24話で一切そこに触れられなかったから…。そこのずれは正直少し惜しいなと思った)。
これは,ある意味けいおんが描いた話のその先を書いていると思う。けいおんが(楽しい今という幻想を書く事で)いつかは別れるという悲しみを描いているなら,アイマスはその別れのときを描いているのだ。前書いたようにけいおんがファンタジー100%なら,アイマスはファンタジー75%,リアリティ25%というところだろうか。けいおんにない具体的な悲しみや苦悩を描く事で,けいおんのような眩しさの代わりにその苦悩を通過した事による力強さを描いていると言える。
そしてその苦悩を,監督は本当に丁寧に描いている。さっきの細かい前フリもそうだが,春香さんという能天気でアイドルが大好きで仲間を大事に思うキャラを主軸の置く事で,仲間とプロ意識,売れる事による別れ,それに悩むアイドル達を克明に描く。24話で春香さんが笑いながら泣くシーンで表現されている感情はあまりに深い…ノア・レノックスやブラッドフォード・コックスが表現しているものと同レベルとすら言える。
そして何より大事なのは,その難題に出した答えが,諦めない,仲間を信じる。その二つだけだった事だ。この歯が浮くような軽い謳い文句は,それしかないという悲しみと,それでも幸せになれるはずだという力強い希望が隠されている。長々とアイドル論なんて語らずに,この二言に集約させた錦織のセンスは計り知れないものがある。(千早の演説すらいらなかったと思う。あれがないとよくわかんない人がでてくるからだろうけど…)。
アイマスアニメの公式HPにある絵,あれをみるといつも泣きそうになる。皆笑っている。錦織の絵において特徴的な,口を大きく開くあの笑顔で。皆笑っている。それはけいおんにある儚くて悲しい笑顔じゃない。色んな事を経験しながら,これから待っている色んな事を思いながら,それでも出てくる力強い笑顔だ。どんなことがあっても,皆がいれば笑っていられる。そういうメッセージをこの一枚の絵から感じてしまう。

最後に,ここでは書かなかった本当に素晴らしいアイドルマスターの楽曲陣の中から歌詞をひとつ引用して終わろうと思う。

ねえ、この世界で
ねえ、いくつの出会い
どれだけの人が 笑っているの?
ねえ、泣くも一生
ねえ、笑うも一生
ならば笑って生きようよ 一緒に

顔を上げて みんな笑顔
力あわせて 光目指し
世界には友達
一緒に進む友達がいることを忘れないで!

ひとりでは出来ないこと
仲間となら出来ること
乗り越えられるのは Unity is strength
空見上げ 手をつなごう
この空はつながってる
世界中の手をとり
The world is all one !! The world is all one !!
Unity mind.

                                  -The World is All One!!!-
 
どっかで見たことあるタイトルだと思われるかもしれない。
三ヶ月ほど前に似たような記事を書いた。
http://u16n.3rin.net/Entry/129/
正直言ってこの予想…というより期待は大外れで,美希は正に竜宮小町への憧憬のみにおいて11話のような発言をしており,12話自体も単純に美希のモチベーションをあげる為の話であり(しかも作画脚本ともにアイマス全話通して最低レベルのもの),そこには職業意識()も共同体とのバランス()もいっっっっさい無かった。
まあ当然というか何というか,実は美希というのは基本的に職業意識なんてものから百万光年離れたキャラだったらしい。アイマスを昔からよく知る友達が俺のブログを読んだら大爆笑したという。無理もない。
ただその後の13話における恐るべきライブ作画,15話の超絶ギャグ,17話からのしっかりとした作画および演出,そして千早回によって,脚本ではない部分に素晴らしさを見出して,俺は最初とは違う側面でアイマスを存分に楽しんでいた。それはもう本当に楽しんだ。
23話を見るまでは。
いや,まさかここで俺が上で言ったような問題提起をしてくるとは夢にも思わなかった。12話はモチベーションをあげるだけでなく正に美希に職業意識を芽生えさせるためのものだったのだ。
売れていくにつれてどんどん離れていく仲間達,それを必死に繋ぎとめようとする春香さん,だがプロ意識から仲間よりも仕事を優先していく他のメンバー。その描写としての美希と春香の会話シーン。
22話でPとの恋愛を絡めてきたのもまたエグい。千早も海外に行き,好きなPを自分のせいで怪我させてしまった春香さんが一体どういうイベントで立ち上がるのか…今までの並々ならぬシリアス演出を見せられた後では,もう期待するなという方が無理だ。
もう何度も言ってはいるが,正直他のメンバーが奮起させるというのは止めてほしい。それでは千早回のリピートになってしまう。
ここはやはり千早回ではありえなかったライバルとしての美希が何かしらの檄を飛ばす…または,やはりファンが春香さんを立ち上がらせるというのが筋ではないか。どうやらジュピターも出るらしい。まさかジュピターが春香さんを直接奮起させるというわけでもないだろうし,一からやり直すジュピターを見て春香さんが何を思うか…が重要だろう。
しかし美希をどう書くかは色んな意味で注目したい。泣き崩れるかよりいっそう仕事に励むか。潰れるキャラが二人居ても…とは思うがしかしこれだけ原作のキャラを大事にした錦織が今更プロットのためとはいえ…逆に春香さんのことすごいなじりそうで超たのし…ゲフンゲフン怖い。
まあこれ以上妄想を書いても無粋というものだ。座して待とう。もはやつまらないなんて事は考えられない。あの極上作画演出だけで凡百のプロットも輝きを放つ。ただここは初めて(12話でも見せられたと思うが…もう言うまい)錦織のプロット力を見せ付けるチャンスでもある。楽しませてもらおうじゃないか!

とかいいつつまーた12話みたいな肩透かしくらいそうで戦々恐々なわけだが!勘弁しろよゴリ先生!さすがにここでまたあんな微妙話やられたら一気に評価変わるよ!?ここまで春香さん落としといてPがなんかくっさい台詞言っただけで立ち直りーとかやったらマジお前の顔面CHANGE!!!!するまで殴っからな!ほんとお願いします!BD買うんで!今はちょっと無理だけど年明けたら買うんで!いやマジで!あとライブ回はOP曲流してね!新規とかマジいらねーから!王道でいいから!TBSの内規!?知るか!内規は破るためにあるって偉い人も言ってたぞ!頼んだぞー!
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