ここは管理人u16の趣味雑記をのせたブログです
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エレキングの年末号を買った。

悔しいがやはり読んでて面白い。特に野田さんタナソー三田さんががっぷりよっつ激論交わす老害座談会は素晴らしかった。ロッキンオンのパーマ・ヴァイオレッツを巡った粉川さんと山崎さんの対談も面白かったが、やはり主義主張の違う人たちが「俺の主張こそ正しい!」と信じて戦う座談会は面白い。特にコードの鳴らし方で喧々囂々唾を飛ばす場面はこれぞ音楽評論!ととても笑いながら感心した。
それに引き換え青二才座談会のつまらなさといったら。
自分の感性との差とか聞いている音楽の差とかの問題ではない。単純に「金を払わせるために喋ろう」という意識が皆無すぎる。ニコ生のクソダベリじゃねえんだから。「私はこれがいいと思いますー」「えー俺は駄目だなーあれがこうでー」「そうですかーまあわかりますけどー」馬鹿じゃねえのか。暇か!編集部の喫煙所か!誰もヤニ吸わなそうだが。倉本さんは結構老害側っぽいんだけどなぁ(と思ったら30オーバーのようだ)。橋元さんがあまりにも優等生すぎる。ぬぁにがスタンドアローンコンプレックスじゃアホか。どうせならジュリア・ホルターをイナイレのキャラで例えるくらいの離れ業みせんかい!
しかしまあ感性としてはやはり青二才側というか、最近の若者の細分化具合はもうしょうがないのかなーと思ってしまうときも多々ある。
昔友人とまどマギの話をしたとき「アニメで初めてカウンターが起きた!」と感動した俺に「そういう発想恥ずかしくないの?」と冷ややかな目を送られたことをよく覚えている。
今のアニオタに深く根付くのはレジュメやカテゴライズへの不信である。その愚かさを笑うネットの声はとても多い。好きなもんは好き。嫌いなものは嫌い。それ以外に何がいる?そういう態度ばかりである。まさに僕らは偶然聞いている…なんぞ偉そうにタイトルをつけているが、もうそんなもの珍しくもなんともない。若者の通底概念である。「それすら音楽評論の多くが理解してないから敢えてつけた」?それはただ自らの優越感と若さゆえの視野狭窄である。それこそロッキンオンですら完全に自覚のもとだ。だからこそ山崎洋一郎はいみじくもビートルズなんてものを今更表紙にしてみせるのだ(泣)。
もちろんそういう共通項を持とうとしない態度こそが今のアニメ文化の豊潤さの理由でもあるが、しかし故に各作品同士のファンは交わらず、戦わず、遠巻きにバカにしながらファン同士で面白くもない話を延々していくだけである(それこそ青二才座談会のように)。特に今年のような革新的な作品がないような年ではそれは嫌というほど顕在化する。『ソードアートオンライン』ファン、『氷菓』ファン、『モーレツ!宇宙海賊』ファン、『ガールズ&パンツァー』ファン…どれもいい作品ではある。確かに一定層のファンがつく理由はとてもよくわかる。だが…つまらない。面白くない。そこには戦おうという気概はない。新しいものを作るという信念もない。それこそ本当に「ただ自分がいいと思う作品を作るだけ」という悲しい諦めだけがあるような気がしてしまう。
仕方ないのかなとは思う。カテゴライズとレジュメも一歩間違えればそれこそドラマや邦画のようなターゲット向けコンテンツへと成り下がるだけである。それを避けかつ意識的にカテゴライズを横断するクレバーさは特に日本ではあまりに難しい。それよりはひたすら各々が作りたいものだけを作り、それを見たいものが見て、買いたいものが買う…そんな単純で清潔な需要と供給こそ現代流ポップカルチャーなのではないか…そんな意見の正しさに勝ち目のある言葉を持ち合わせているわけではない。
だが、そこでしょうがないといえるのだったら青二才座談会を素直に楽しんでいる。

『ロボティクス・ノーツ』が素晴らしい。
何がしたいのか全く分からない。
『TARITARI』のような青春もの?だがやたらSF的設定が出てくる。じゃあ『シュタゲ』?にしちゃ無難な部活動パートが多すぎる。なぜ題材にロボ制作を選んだのか?しかも無駄にリアリティばりばりなのか?かといってそれを利用して苦難を皆で乗り越えるものでもない。11話に至ってもいまだチームワークと呼べるものが成りたたない。そしてどう考えてもその青春部分とSF部分がつながる流れがわからない。わかりやすく盛り上がれるシーンもなかなかない。これでは確かに「地味すぎる」という批判もわいてくるだろう。
だが…どこか期待してしまう自分がいる。
そこには何もかもがある。青春があり、友情があり、愛があり、ロボがあり、SFがあり、ドラマがあり、もちろん萌えもある。先鋭さも備えつつ、ノスタルジーもある。そう、どこかの誰かに向けていない。わかりやすい特徴も見る人を拒むエゴもない。かといって誰でも書けるようなものというわけでもない…不思議な作品だと思う。
それは細分化されたすべてに応えようとして中途半端に終わってしまった失敗作にも思えるが、俺にはもっと美しいものに見える。どこにも収まらず、でも明らかに今でしか成り立たない2012年型のアニメ。
大体にしてまず1クールすら終わっていないし、作画もIGお得意の週ごとキャラデザ変化は健在だしそれを抜きにしても単純にひどい。グロス受けだと信じたいレベルである(演出それ自体はそこそこのレベルなのだが)。まだBD予約はしていない。これから箸にも棒にも掛からない凡作になる可能性は多分にある。
だが、エレキングのジジイどもが叫ぶ腑抜けた日本人表現者への罵倒に同意しつつもジェイクバグや快速東京にも今いち乗り切れず、かといってもちろんピッチフォークやそこらの暇なインディ至上主義どもが崇めるサンアロウだの何だのを聞いても「暇だなお前ら」としか思えず、仕方なく延々アイマス曲を聞きジェイムスブレイクのシングルを買い集める悲しい音楽生活を過ごす今、その愛と楽しさと辛さと難しさ、過去に憧憬し未来に期待するアキちゃんと過去に呆れ未来を諦めだがあきちゃんにだけは何かを期待するような目を向けるカイ君の二人を見ていると、アニメがあってよかったと何かバカみたいな感想すら抱く始末である。

友人は「アニメなんてもうどうしようもない」と語る。
スト魔女とアイマスがあればいい。「アニメ」というものに期待しない。自分に当てはまる奇跡が起きたときにそれを享受するだけだと。
特に今年は本当に不作と言っていい年で、2006年から何だかんだ名作といえるアニメが毎年生まれてきた深夜アニメにおいて初めて皆がこれと認めるものが生まれなかった年だといえる。自分としてもロボノを友人に勧めたいとは思えない。アニメに期待しなくなるその気持ちもとても理解できる。
現実はいつだって厳しい。社会人になる翌年に俺もアニメに期待することをやめるかもしれない。少なくとも今よりずっとアニメが自分において占める割合は減るだろう。音楽なんてアニソン以外聞かなくなってるかもしれない。それは社会の必然である。
しかしそれではロボノには会えなかった。アイマスにだって会えなかっただろう。だったら何を糧に生きていくのか?恋愛?友情?飲み?食事?ゴルフ?麻雀?仕事?ギャグにすらならない。
少なくとも今俺は「アニメ」に期待している。洋画より邦画よりドラマより、邦楽より洋楽よりUKインディよりUSインディよりダブステよりヒップホップより何より。客観的理由だってある。思い入れだってもちろんある。これほど楽しい表現媒体の恐らく黄金期に出会えた幸運は、ロックという死に体の文化に今更はまってその歴史を知った今なら十二分に理解できる。音楽というとても広いフィールドをできる限り探検し、そして日本が置かれている状況に絶望した今なら、そんな嘆きの声で溢れた老害座談会を見れば嫌と言うほどよくわかる。
俺に言わせれば青二才側はただ「自分の好きな音楽」を楽しんでいるだけである。「音楽」そのものに期待しているのではない。いかなる文化だろうが隅々まで探せば自分が楽しめるものはあるに決まっているのだ。文化の形とはそれを多く支持する表現者に現れる。だから野田さんはRCサクセションで泣くのだ。「支持するものの多寡など意味を持たない」なんて、「文化に期待するな」と言っているのと同義である。なら金を取って音楽誌など作らずブログでもやっているがいい。
先述した通りそういう人がとても多いのは知っている。ロックはまだ(勘違いも含め)レジュメとムーブメントに勤しむ人間が多いが、アニメにおいてはもはや「アニメ」に期待している人などほとんどいない。自分がたまたま好きなものがアニメなだけ。好きなアニメだけを見る。何度も言うようにそれは悪いことではない。だが、俺は違う。
アニメは奇跡的に現在支持するものの多寡がその作品の質と重なる文化である。アイマスもスト魔女もけいおんもきっと後世に語り継がれていく作品である。『ロボティクスノーツ』も『ヴィヴィットレッドオペレーション』もそうなると信じている。それを社会の必然と諦めて捨てるのはあまりにももったいない。
そんなものは若き日の幻想だと笑うかもしれない。事実人生全てを趣味にかけていた若人が仕事に忙殺されそれを失っていく話なんてそこらじゅうに転がっている。そうなっていく人たちを何人も見てきている。それは非難されることでは全くない。人生のよくある選択である。
今言えるのは何が何でもアニメを見ていくと固く決意すること、そしてロボノは面白いということだけだ。ロボノを見てほしいとはそれほど思わない。ロボノを批判する人に強くいえる何かはない。だが、ここから何か生まれるとは思う。スト魔女やアイマスを偶然作って終わるのではない。これが成立するアニメという土壌はこれからも俺たちを揺さぶる何かを作ってくれると、俺はそう信じている。

『中二病でも恋がしたい!』の最新話をみて考え込んでしまった。
よくできたアニメである。アニメとしての品質がすごく高いのは京アニだから当然(これも凄いことだが)として、シナリオも分かりやすいうえに楽しく、中二病というギミックをラブコメに活用するその手腕は誰でも思いつくようなものと言えばそうだがかなり綺麗であり、キャラもしっかりかわいく書かれているし本当の良くてできてはいるなと感心した。
だというのに全く引き込まれない。
むしろイライラする。回を重ねるごとにムカついてくる。基本的に『シュタゲ』とかでも中二病系痛いギャグはあまり好きじゃなかった方なのでギャグに関しては体質としてしょうがないと思いつつも、ここまで山場になって、先述した上手さが発揮されてきてもやっぱりイライラは止まることがない。
なぜだろう。まあ素直に切れよという話なのだが。
ネットでは真面目に見てる人はほとんど絶賛という感じなのでどうも探しても答えが見当たらない。もし俺のように訳も分からずイライラしている人がいたらと、自分なりに出した答えを書いてみたいと思う。

俺はまずこのアニメを見て『ハルヒ』を思い出した。
お前電波女の時もんなこと言ってたね?とか言われそうでまあその通りなのだが(http://u16n.3rin.net/Entry/154/)、そりゃそうというか要するに『電波女』も『中二病』も『ハルヒ』直系のラブコメ青春ものだと思っている。
んで、どの辺が『ハルヒ』かはちょっと考えればわかるので置いといて『ハルヒ』との違いについてだが、大きく言える違いはヒロインの扱いだろう。
ハルヒは間違いなく中二病であり、周りもしゃーねーなこいつという目で見ていたが、結局はその中二病的な誇大妄想とそれに基づいた行動力が魅力的な女性ということになっていた。
が、『中二病』においてはヒロインはマジでかわいそうな女の子である。
中二病のせいでまともに友達もおらず、しかもその中二病も父親が死んだせいであり、守ってあげなくちゃしょうがないかわいそうな女の子だ。
俺はまずここが許せない。
結局中二病なハルヒを主人公が(同情とかじゃなく)好きになるからいいのである。『ハルヒ』においてキョンがハルヒを守ってあげる描写など一つもない。ハルヒは確かに痛いが逆に言えば夢を持ち自分を持った女として書いてあるからである。そこにキョンは惚れる。
それをマジでかわいそうな女の子にしたらそれこそ上で貼った『電波女』の記事で書いた「メンヘラ美少女を助けるクールな俺というオナニー視点から脱却していない」という批判が丸々当てはまるじゃねーかということである(電波女もそうだろうがという人は記事を読め!)。
何が悪い。所詮アニメのヒロインなどチンポしゃぶり機。萌えアニメなど風俗!オナニー視点で当然だろう!という方もいるかもしらん。正直俺もその気持ち少しわかる。
俺だって怖いくらいに自我ありまくりの岡田磨里ヒロインも正直あまり好きではない。話のヒロインとしてはいいと思うがキャラとして萌えるかというとノーサンキューである。いやむしろその気持ちがわかるからこそ、だからといってヒロインのエゴをエロ同人よろしく消去しまくりただただ主人公に惚れて好きだ好きだいうだけのマシーンとしてしまっていいのかという話だ。話として面白いかとかこれだからオタクはみたいな旧世代ジジイのつまらん説教ではない。お前それで萌えんのか!?そんな単純でいいのか!!という話である。
むしろそういうつまらんヒロインが嫌だからきりりんやあずにゃんのような一応それなりのプライドというか自我を持ちつつでも最終的にはチンポしゃぶりまーす!な絶妙なバランスのキャラ(いや結局チンポしゃぶるんかーい!と言われそうだがそのバランスが大事なんだって!)がみんなに好かれていると勝手に考えていたのだが、ここまで『中二病』がもてはやされる現状を見てると考えを改めざるを得ない。

そういう意味で『中二病』の主人公も許せない。典っ型的ゼロ年代主人公である。
色恋興味ありません。友達のあいつはなんかやたらモテるかどうとか気にしてるけどどうせ女性なんて俺には関係ないし。だけどあの子はかわいそうだから、別にその子と付き合えるとかセックスできるとかそういう事なんてまあああああああったく頭にないけどでも気が引けるし助けちゃう!あれ?お前俺に惚れてたの?いやぁ気づかなかったなぁだってほらお前を助けたの純粋に義侠心からだし!まあでも好きっていうならお前意外とかわいいし付き合っちゃう?
死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
死ね!マジで死ね!こういう主人公全滅しろ!リトも死ぬ?一夏さんも京介も死ぬ?いいよもうしょうがない!他のごまんといるゴミクズ主人公ぶっ潰せるならもうそれは避けられない犠牲というやつだよマジで!
何なん?何なんお前?んなわけねえだろ。そんな高校生男子いるわけねえだろ!いいか高校生男子なんてな!若い女がいりゃまずセックスするかどうか考えるもんなんだよ!とりあえずできるかどうかとかそういうの置いといてまあまず下らん妄想するもんなんだよ!それを表に出して努力する奴がDQNで「いや…別にそんなん興味ねえから」とか強がっておいて裏で悶々としてるのがオタクってだけなんだよ!マジで興味ねえ奴なんているわけねんだよ!それがはるか昔から未来永劫続く生物の本能ってもんなんだよ!何お前チンコついてんの?去勢でもされたの!?
あの子はかわいそうだから?義侠心で助けただけ?
ふ ざ け る な
いいか例え百歩譲ってそうだとしても!助けた時点ではそういう対象としてみてなかったとしても!もしいい感じになってきたら意識しまくるに決まってんだろうが!ヤれるかどうかむっちゃ考えるにきまってるだろうが!かわいいんだろ?かわいこちゃんランキング(爆笑)四位なんだろ!?そんな奴となんかいい感じになった瞬間爆裂的に頭はエロモードでヤるためだけに全てを懸けるもしくは全然気にしてない素振りを見せつつ会うときいつでもそういう妄想が頭から離れなくなるそれが男子高校生ってもんだろうがアホかああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
失礼。
多分に偏見(というか自己体験からくる悲しいコンプレックス)が混ざっていることは認めます。
だが、少なくとも上で書いたような主人公がもう沈黙シリーズのスティーブンセガールくらい共感とは程遠いキャラであることは疑いの余地がないと思う。
むろんアニメとはファンタジーであり、いくらラブコメとはいえ共感とは違う尺度でのキャラ造形というは当然あり、くみん先輩などの例を見るに『中二病』というアニメはあまりリアリティを重視しない方向であるというのは見て取れる。
が、くみん先輩を異種とみるレベルのリアリティは間違いなく存在してるわけで、そこに平然とああいうヒロインや主人公をぶち込めてあまつさえその関係性は異種としない(つまり森サマーに「あんたいい加減ぶりっこやめなよ」と言わせながら主人公の友達に「お前いい加減その女に興味ないポーズやめろよ」と言わせない)リアリティの尺度の混在というかずれがやはり俺のイライラを加速させるのだと思う。
根底にあるのはオタク全体の「女なんて興味ない」ポーズの蔓延である。
いいじゃないか恋に生きて。愛を叫んで何が悪い。病気とか世界の危機とかそんなん関係なくただ女が好きだから好きだと叫ぶその心に共感できない気持ちはわからんでもないが、しかしだからといってここまで主人公を去勢して自分にリンクさせるその気持ち悪さはさすがにわからん。
そんな去勢されたフリの連中にこそアマガミ二期ラストを見てほしい。これぞ愛を叫ぶケモノの美しさである。恥も外聞もすべて捨てて叫ぶその姿こそラブコメの真骨頂であったはずである。何も障害なく、ただただすり寄ってくる女が好きだといったその瞬間にようやく恋に目覚めるような白馬の王子様症候群野郎がセックスする場面などではなかったはずだ。
『電波女』も確かにそんな感じはある。だがやはり大事なのは、主人公の丹羽がエリオを助けた理由に間違いなく「エリオがかわいいから」という非っ常に下い理由が含まれているという事実だ。これがあるとなしとではこの作品の価値は大違いになる。
そして何より3話である。
エリオを現実に戻すため海に飛び込んだとき、二人は決して仲が良くならない。あんな素晴らしいラブコメイベントの後彼らは口喧嘩を重ね、「なぜこんなことをする!?」と怒りの表情で叫ぶエリオに丹羽はこういう。
「みんななかよく!」
くだらない戯言である。エリオもそういう。「嘘くさい。私は傷ついた!」そして丹羽がさらにこういう。「絶対に傷つけあわないまま円満に終わる関係なんてないだろ」と。そこで初めてエリオは笑う。わかるだろうか?これはそういうことである。絶対に傷つけあわないまま円満に終わる関係なんてないのだ!でもみんなかよくするのだ!そんな関係の代表こそが恋愛なのだ!
俺はこれを見て『宮本から君へ』という漫画を思い出した。それはある意味で上のような誰も傷つけあわないラブコメへの批判だと思う。『電波女』はただのエリオちゃんがかわいいハーレムものなどではない。もっともっと複雑な視座から書いた、それこそ『ハルヒ』のさらに先を行く現代流ラブコメなのだ。
『中二病』も確かに傷つけた。主人公は「中二病をやめろ」といった。だがそれは傷つけ「合い」ではない。主人公は攻撃されない。唯一されそうな部分もカットしていたし、そのシーンもあくまで「逃避するヒロインに言い聞かせる」というものだっただろう。当然だ。何しろヒロインはチンポしゃぶり機なのだから。その歯は全て抜いてあるのだから!
きっとこの後ヒロインは主人公の言う通り中二病をやめるのだろう。しかしそれを悪く思った主人公がヒロインを後押しし、彼女は中二病に戻るのだろう。吐き気がする。全て主人公の思い通りだ!ヒロインに自我などない。落ちた女はただただ男の言う事を聞いて、突っ込まれたチンコの気持ちよさにそのトラウマすらも忘れ去るわけだ!女が社会性を取り戻すかも、社会などに寄りかからない夢を持った人間になるのかも男次第というわけだ!そしてその女の変化に男は何一つ影響も受けない!
そんなことはない?六花のおかげで主人公は中二病を許せるように成長できた?そんなの免罪符どころかギャグにもならない。だって今まで9話かけて「中二病=恥ずかしい」というクソみたいな等式を描いてきたじゃないか!六花もいじめられない。誰も中二病を忌避しない。『電波女』や『ハルヒ』のように中二病を嫌う周りを描かないことで、全てを笑いに転化して決してシリアスにしないことで、何よりも六花の中二病という病気を父親の死とかいうテンプレもいいところなトラウマと繋げることで、中二病もいいと思えることを当り前で当然のことにしてきたじゃないか!
大体にして六花の中二病を必死に直そうとする周りが意味わからん。お母さんが戸惑う?現実を見てない?アホか。お母さんあまりにも子育て不慣れすぎますよ。そんなんそれこそ中二病だからの笑い話だろうが!現実を見てるんだろ六花は!?まともだけど父親の死が受け入れられない(笑)から中二病なんだろ!?じゃあほっときゃ治るだろ!周りは治ってるだろ!もし父親の死で治らねえんだったらそれはもう「父親の死を受け入れられない」っていう病気だよ!それはまた違う処方箋だよ!少なくとも中二病やめさせることで治るのおかしいだろ!むしろ家族みんな「中二病だねー」で笑って済ませてるけど主人公だけ悩むくらいがちょうどいいだろ!
俺にとって9話以降のシリアス展開はつまらん恥ずかしいことに四苦八苦する愚か者か、もしくはトラウマで籠る女の子を助けるよくあるギャルゲ展開である。間違っても男と女が恋という戦争をするラブコメなどではない。

『さくら荘のペットな彼女』が批判されている。
何故かというとリアリティがないかららしい。曰く「イギリスに無理やり帰したところでいい絵が描けるわけない」「漫画と両立できるだろ」「親が言うならともかく友人がしゃしゃり出るか」「美術界に評価などない」。
まあ俺としても正直出来がいいとは思わない。確かに荒が目立つ。エゴも強すぎて共感しにくい。いろんな意味で取材というか情報を得た上で書いているような感じはしない。
だが、俺は『さくら荘』の方が『中二病』より圧倒的に好きだ。
空太が打ちのめされるからだ。ましろも七海もリタも先輩も全て、空太を苦悩に突き落とす。もちろんラノベのマナーとして下の意味では『中二病』の何倍もチンポしゃぶり機である。だが話としては明らかに主人公をひたすら打ちのめすようにできている。
確かによくわからない理由で空太を好きになる女が二人もいる。だがただすり寄るだけの女ではない。彼女たちには夢という空太よりも大事なものがある。そのためなら空太に好かれなくてもいい。むしろ空太を傷つけるようなことになってもしょうがないと考えている。そして空太は彼らを見て、時には羨み時には嫉妬し時には影響を受けて時には反発しあい、もちろん空太自体も周りに影響を与えて夢へと必死に進んでいく。
そんなの当り前だ。自分のことを何よりも優先させる女などいるはずがない。周りに影響され、周りに影響させて生きていくのが人生であり物語なのだ。だというのにそんな女が蔓延してる。ハーレムアニメなら構わない。それを作る全ての人、見る全ての人が風俗だと自覚しているから。
だが、むしろそれと対極にあるべきラブコメアニメで、しかも上っ面では古き良き純愛もののような書き方をしつつ、だがその実ヒロインと主人公の関係性が完璧にハーレムものでしかない紛い物をみると、そしてそれを何も考えず賛美する連中を見ると、俺ははらわたが煮えくり返りそうになる。本当にペットな彼女なのはましろではない。六花だ。
言っておくが俺はアニメの風俗部分を、ハーレムものを全否定する気など全くない。むしろ大好きである。『IS』『ロッテ』『おにあい』『武装神姫』どんとこいである。もしハーレム嫌いだったら素直に冒頭で「『とらドラ』こそリアルな恋愛ぃ!」とかいう戯言を吐いている。そっちのほうが明らかにわかりやすい。
だが違うのだ。男向けのラブコメは『とらドラ』のようなものを目指してほしくない。『ハルヒ』『電波女』そして『さくら荘』のようなアニメを目指してほしい。確かに男のためのエロを書きつつ、ただそれを、自分の風俗具合をしっかり把握して、そのうえでしっかりと傷つけあう関係を書くべきだとそう信じている。
確かに『中二病』はよくできたアニメである。アニメとしても話としてもとてもよくできたエンターテイメント作品である。だがあらゆる意味でそこにエゴはない。ただ人を悦ばせることしかできないアニメである。
それはそれでいいだろう。ある意味で『おにあい』も『武装神姫』もそうだ。しかし彼らには「風俗アニメを作ろう」という強い意志があり、そのサービス精神はまた違う意味での個性、エゴとなり、俺を楽しませてくれる。
『中二病』のスタッフはきっと「いいアニメを作ろう」としか考えていない。自らの作るアニメの嘘くささに気づくことなく、これが真摯なアニメだと勘違いしてひたすらに作っている。だがそれは真摯などではない。本当に真摯なのはいい悪いなどという尺度を完全に諦めている『武装神姫』の横谷氏であり『おにあい』の川口氏である。
京アニは『日常』から「いいアニメを作ろう」と考え始めているように思う。それは無理だ。彼らにそんなことはもうできないと俺は思う。お餅など書いたところでもうどうしようもない。いいからブヒれるだけのハーレムアニメ作ってろよ。心からそう思う。

裏って表がなんだよという話ですが。
あんまりバカ売れとかはしてないけどこれはやべーな!というアニソンを紹介したいと思います。


1.HELP!!-HELL SIDE- (作詞:こだまさおり 作曲:corin)
http://www.youtube.com/watch?v=BkWbqTfU-uY

とにかくこんな凄いロックンロールがこんなアニソン僻地に存在することに驚いた。
「はぁ?どうせ無駄にメロがいいメタルもどきだろ」という方は黙って上のURLをクリック。
シャッフルじみたドラムにバカみたいに音がでかいベースがひなっちのようにブリブリうなり、つまらんフレーズなど弾かずひたすらパワーコードのギターは勢いだけがありまくり、そして竹達のヘッタクソな歌はメロを捨てラップに近い速射砲リリックにすることで解決。むしろきちんと曲の意図を読んだノリノリな歌唱はとてもマッチしてる。
とにかくリズム隊が異常。ドラムとか何なの?馬鹿なの?ってくらい無茶苦茶。二回目のブリッジとか普通にアホみたいな8ビートが蔓延るこのアニソン界…いや邦楽界でここまでぶっ飛んだドラム叩ける奴がいるとは。残念なことにCDにも表記がないが、作曲のcorinが結構なオリコン作家なのでセッションミュージシャンか…しかしすごい。ちなみに完全に原作のキャラを把握し、その特徴をしっかりつかみつつ個性をだし曲との融合を果たす完璧な作詞をみせるこだまさおりは今アニソン界で畑亜紀に次ぐ売れっ子作家なので要注目である。
というわけで第一弾はこれ。まあアニメ自体は如何ともしがたかったがOPだけは死ぬほど素晴らしかったので、アニソンにガチで注目しだしたきっかけのような曲(注意:HEVEN SIDEは大したことないです)。


2.BEAM my BEAM  (作詞:只野菜摘 作曲:Low-tech son)
http://www.youtube.com/watch?v=Ve4VIX3yG2s

二回目サビの前に無音(作曲者いわくわざと)が入ったことで無駄に有名になった曲である。
一応言っておくと俺も無音はいらなかったと思う。
だがそれを補って余りある素晴らしさがこの曲にはある。
まあ言ってしまえばよくあるヒロインみんなで歌おうEDなのだが、まず歌詞がやばい。
ひたすら無駄にバカ明るい、「あなたのチカラにわたしのチカラを 無限大パズルがかさなる!」「最高のパートナーシップ Forceを結んで限界のFenceきっと乗り越える」頭悪ぃ!マジ頭悪ぃ!だがその無茶苦茶ともいえる明るさは、もうMOSAIC.WAVE直系躁全開爆裂ノリノリ電波アニソンの上に載ることでなんかもうよくわかんないパワーを生む。ギターにキーボードによくわかんないSEになぜかリズムはドラムンベースでちょっと落ち着け!もうちょっと整理しよう!と言いたくなるクソアニソンの典型サウンドデザインなのだが、意外といいメロとアニメのアホみたいなハーレムノリが合わさってここまで突き抜けられると許せてしまう(間奏のジャジーなピアノも楽しい)。
ハイライトはラストサビ前である。「一緒にいると世界が広がる 信じる女の子は無敵 パラレルパノラマ大冒険!」「どんな女の子だって好きな人のためになら何一つ後悔しないよ!」そして最後のコーラスへと続く。びーまいびー!らぶごーずおん!びーまいびー!らぶごーずおん!…なんか泣けてくる。
ちなみにこれのカップリングも素晴らしい萌え渋谷系で最高なのだがそれはまた別の話。


3.ワグナリア賛歌~a day of 伊波まひる (作詞:uRy 作曲:岡部啓一 編曲:田中秀和)
http://www.pideo.net/video/xuite/e394f9b7fa245cce/

『WORKING!!』のキャラソンの一つである。
まあ正直この企画は微妙だった!
というか男陣の曲があまりにも微妙で泣けた。一応全部買いましたよ…買いましたけどー!なんかこう普通のロック過ぎるんだよ!歌もキモいし!歌詞もキモいし!え?女も下手だしキモい!?んなことねーし最高だし!八千代さんとかなんでこんなロリ声!?とか思ってねーし!
だが、伊波ちゃんのキャラソンはなんかものすごい最高だった。
とにかく突飛なことをせずひたすら誠実にポップスを鳴らすのだが、そのセンスの良さがやばい。こんなに音数多いのにわやくちゃしないという手腕はさすが今のアニソン界を席巻するMONACAである(ちなみにこのMONACA実はナムコのサウンド部門の人たちで、つまりはあの神曲だらけのアイマス曲を作った人たちである)。
特にカップリングであるこのワグナリア賛歌伊波ちゃんVerは本当にやばい。どの楽器も決して自己主張せずただひたすら裏方に回り、下手くそな藤田咲の歌をフォローする。それは渋谷系がアニソンに濾過された行く先ともいえるしスピッツに影響された新しい形のインディミュージックとも云々。
何より最高なのはブラスだ。最後のサビで明るくもどこか切ないメロディに乗っかるフレーズはキラー過ぎて毎度そこに行くたび泣きそうになる。『WORIKIG!!』のOPEDは本当に名曲ぞろいだがそのどれもがブラスが印象的に使われていて、MONACAには本当にブラスの素晴らしさというものを教えられている。
男陣は微妙といったが女陣はなかなかよかった。といってもこれ多分ネット配信とかしてないしCD買うほど素晴らしいというわけでもないが、とにかく伊波ちゃんのCDだけは買っても後悔はないのではないだろうか。俺はなかった。つか三期まだかい!


4.i Love (作詞 作曲:azusa)
http://www.youtube.com/watch?v=Mg677L6As6k

azusaは最近の中でもトップクラスで期待しているアニソン女性SSWである。
アマガミ二期でテンション上がった時期に勢いでアルバムを借りたんだが、その完成度に圧倒されてしまった。珍しく彼女は作詞作曲アレンジ全てに関わるタイプのアーティストなのだが、それが道理というか、様々なタイプの曲があれどサウンドデザインが一貫しているのだ。特に生音へのこだわり、音数の少なさ、ドラムの鳴りの美しさはなかなかアニソン全体を探しても見つからない。
またボーイッシュな歌唱や今時珍しいほどまっすぐな歌詞は、無駄に音数が多い曲の上バカみたいなカラオケ歌唱で壮大な歌詞を書く最近の女性アニソンシンガーにはない素朴な良さがあり、かなり好感が持てる。顔もかわいいしね!
そのアルバムの中で一つ選ぶとしたら、やはりアマガミ一期1クールOPのこの曲だろう。
感じのいいドラムとベースの上で優しいキーボードが曲を彩り、まるで90年代のような具体性あふれる歌詞で恋を綴る。「会える日まで指折り数えてた 今じゃ会えない日のほうが少ないね」「最後の恋にしようって誓ったこと 今はまだ内緒にしておこうか 一人でにやける午前0時過ぎ」もう初期ミスチルかおめーわ!といいたくなるこっぱずかしい歌詞が並ぶ!だがあの顔と声とメロディで歌われたらこれもありかなと思ってしまう!
あんまり活躍してないようで、アマガミ二期の後は武装神姫とまあパッとしない(素晴らしさは置いといて)アニメでその名を見るのが本当に惜しいなぁと思う。さっきも言ったが藍生エイルだのLisaだのただ歌がうまいだけのつまらんアニソンシンガーばかりが妙にもてはやされる時代、ぜひこの古き良き女性SSWの佇まいを持つ彼女に売れていってほしいものである。


5.No One Knows M (作詞:辻純更 作曲編曲:川田瑠夏)
http://www.youtube.com/watch?v=oPXXtiztm-o

友人のスト魔女狂に教えられた曲である。
めんたま飛び出た。いやあんまりジャズには明るいほうではないが、しかしこんなハイセンスなバップを作る人がアニソン界にいたのか?しかもキャラソン如きに曲を提供するようなレベルで?
というわけで慌てて作曲家をググったら何とこの川田瑠香という人バークレー音楽大学でガチに音楽習った人らしい。ちなみにさっき書いた"BEAM my BEAM"のカップリング(というかOPも)の作曲者でもある。いやはや驚きが隠せない。何を間違ってアニソン作家なんかになったのだ!無駄に顔もかわいい。謎である。
しかもジャズとしてかっこいい(いやほんとにかっこいい。ブラスとかドラムとか、そこらによくある似非ジャズものなんかよりよっぽどジャズしてると思う)だけでなくアニソンとしても100点満点である。アメリカだからジャズ。うーんナイスアイディア!シャーリーならロックかなーとか思った自分の浅はかさにトネールである。小清水の歌唱も最高の一言。ただひたすらにイケメン声で「No One Knows 見たことない光の世界へ 加速してゆくよ そう見せてあげるよ」なーんていわれた日にゃおめー惚れてまうやろ!ずっと前から惚れてるけど!
先に言った友人にぶっ殺されそうだが正直言うとスト魔女の音楽は玉石混合だが、これとか一期ED,劇場版EDとかは文句なし掛け値なしの最高アニソンである。アイマスといいけいおんといいいいアニメは音楽がいい!これは最早常識といえよう。


6.いままでのあらすじ (作詞:畑亜紀 作曲:神前暁)
http://www.youtube.com/watch?v=ouAVDyROVq0

まさかのラストである。
正直このコンビであれば普通に考えればもってけだろうが、あえてこちらにさせてもらう。
音楽としても素晴らしい。神前氏のロックセンスが全開となった曲である。イントロのシタールじみたリフといいひたすら勢い爆発のバックといいしっかり最高なメロといい、まさに現代アニソンの雄の素晴らしさが微塵なく発揮された良曲。
だが神前氏の素晴らしさが最も現れた曲はやはりそれこそ"もってけ”であったり"motto☆派手にね"
のような代表曲だと思う。ではなぜこれを選んだか。
それはアニソン作詞界最大の鬼才畑亜紀の才能が最も現れた曲だからだ。
歌詞を見てほしい(http://www.kasi-time.com/item-41992.html)。むちゃくちゃの一言である。ほぼ完璧に意味消失のナンセンス、「愛ゆえに頭ゆるんで恋ゆえに心ゆがんでさみだれのそらもとどろにほととぎす」「年は歳を追い越してゆく それもあたりまえの業界談 表裏がウラがオモテで意外腹黒さが最小値」まったく意味が分からない。もうなんかある意味初期ゆら帝のようなサイケじみたキチガイっぷりである。
しかしどこかそれだけではない。曲に乗る言葉としてはかなりレベルが高いし、ギリギリのラインでアニソンとしてキャラに歌わせるという体裁がある。
そして何よりこの曲を神曲たらしめているのが最後のヴァースである。
「おわりおわりそろそろおわり こんな長い歌詞はいやだ ギャラに合わない疲れるしごと 中の人のつらさ考えて ちがうちがう ほんとはちがう ここは二次元ですに、じ、げん」
なんとまあ、こんなことを言ってしまうキャラソンが今まであっただろうか。そこできっちり中の人が素になっているというのがまた素晴らしい。もちろんただの悪ふざけだろう。だが、こうやってあらゆる全てを相対化し、ギャグにして、舌を出して逃げまどうセンスは、畑亜紀という作詞家の本領がよく表れていると思う。
昔アニソン特番で"God Knows…"の話になった時、彼女が「痛い中二病患者女子が書くと想定した歌詞」と聞いて驚いてしまった。俺もまさにそう感じつまらん歌詞だなと鼻で笑っていたのだが、まさかそれが故意だったとは。彼女の視点は俺たちが思っているよりずっと深い。決してつまらん壮大歌詞量産機などではない。とても才能ある作詞家だと俺は思う。


できる限り無名曲をセレクションしてみました。
まだまだ他にも"あっちでこっちで""キルミーのベイベー!""Girls,Be Ambitious!""キボネング・デコの名で""英雄の詩"などなどたくさんあるしというかアイマス曲はそれだけでこの倍は書けるほど最高なので逆に今回はあえて省いたけどまあ今回はこの辺で、いつかは表もやりたいかな。
最近は曲単体をネットで買うということを覚えたので、アニソンはこれからもどんどん追っていきたいと思う。Emeraldsもラリーズも聞く一音楽愛好家としても間違いなくアニソンは面白いしね。邦楽のオリコンやロキノン系よりよっぽど。

姉とガルパンの最新話を見ているとき、「これバカ左翼にイチャモンつけられたりしないのかね」と妙な心配をした。
もちろん半分以上ギャグでいってるが、しかしここまでスポーツ感覚で女子高生たちにガチモンの戦車をバカバカ撃たせるというのはある意味戦争の娯楽化とも言えて、プリキュアを暴力表現とかいうような今のエンタメ界であればBPOに妙なクレームが来てもおかしくないと思ったのも事実である。

しかし、ガルパンを見てると隔世の感を感じずにはいられない。
前も言ったが、最初自分としてはガルパンというのは大魔法峠のパヤタン回のような(うぽってのようなといってもいい)、戦争映画のパロやミリオタネタをちりばめたギャグアニメを想像していた。だが、実際は予想以上に吉田玲子の色が反映されまくった、言ってしまえばギターを捨てて戦車に乗り込んだけいおんというようなものだった。
水島努もギャグアニメでのエグい演出というよりは、今まで職業監督としての特色に近い演出を感じさせない演出であり、恐らくもっとやりたいと思ってるであろう上で書いたパロネタは極力抑えていて、初のオリジナルとしてはエゴを出さないんだなぁと感心というか驚いた。
正直一話の印象は地味でつまらんという感じではあったのだが、しかし五話まで見て、キャラの魅力やスポ根的ノリ、迫力ある戦闘シーンなどを楽しんだ今となっては、むしろこの地味さ加減、戦車という異常なギミックを全く異常だとしない描き方に、妙な深読みをしてしまうほどになった。
思い出したのは「戦略大作戦」だ。
戦争映画の名作の一つであり、水島努の好きな作品でもある。ゆかりがスパイしたとき名乗ったオッドボール三等軍曹の元ネタはこれである。
戦争映画好きの友人に勧められて自分も見たのだが、なかなか不思議というか、絶対に日本人はこれを撮ることはできないだろうなと思えた。
この映画は戦争映画なのだが、コメディである。ありがちな悲壮感は全くない。徹頭徹尾湿っぽくならず、ひたすらにハラハラドキドキと爆笑の連続である。といっても別に「ホットショット」のような全開ギャグであるとか、「イングロリアス・バスターズ」のようなパロディ映画というわけでもない。戦争に対する妙なリアリティがあり、登場人物たちの心情の根底にはどこか兵士としての悲哀みたいなものが間違いなくある。だが、全面には決して押し出さない。戦争や兵隊というものをしっかりと見据えたうえで、だがユーモアをもって描いている。
日本において、戦争を描くというのはイコール戦争の悲劇を描くことである。
とにかく戦うことの空しさ、狂気、巻き込まれるものの悲しみをひたすらに描く。それ以外の感性はないといっていい。敗戦国ということで、戦争にいい思い出がないからだろうか。気持ちもわからんではないし、そりゃ戦争なんてやらないに越したことはないが、しかしいくらなんでも一面的すぎる。
だが、ストライクウィッチーズは違った。
戦争の悲劇性をしっかりと描きつつ、だがそこに必ずユーモアと燃え、そして萌えがあった。バトルを悲壮感よりも爽快感を重視して描いた。それはある意味でB級ハリウッド映画やスーパーロボット物に近い描き方だが、しかし違うのは悲劇性への深い理解と、その上で決して悲劇性を露わにすることなく娯楽として描くという相対化した精神だ。
ガルパンはスト魔女からさらに悲劇性を抜いたものと言える。
戦争というものを悲劇とせず、あくまで冷静にギミックとして見つめ、それに対する様々なオブセッションをもった人たち(鈴木貴昭やフミカネ、そして水島努)があえてそのオブセッションを押し出すことなく、吉田玲子という戦争ものから一万メートル離れた女性をフィルターにすることであくまで滲み出るようにした娯楽作品。だが決して久米田作品やうぽってのようにパロだけのギャグアニメとして終わらせるのではなく、あくまでスポ根として描くところに水島努(か吉田玲子かはたまたプロデューサーかわからんが)の信念を感じる。
俺は「この後みほ達が本当の戦場に出てみほ以外全員死ねば名作」とかいったが、今ならそれがいかに彼らの本意でないかわかる。「Uボート」ではない。「戦略大作戦」なのだ。「ソラノオト」ではなくけいおんなのだ。アメグレを流している場合ではない。エンターエンターミッショーンなのだ。もうそんなわかりきった悲劇性に涙する時代は終わったのだ。戦車をデコり、携帯で連絡しあい、野球やサッカーの感覚でわーいズドンでパタンと白旗という戦争こそ現代日本としてのリアリティなのだ。
もちろんそれはリアルな戦争ではない。ガンダムUCとか宇宙戦艦ヤマトのほうがそりゃーリアルであろう。どうぞリアル(笑)な戦争が大好きな方はそういうのをみて「いやぁせんそうってよくないなぁ(涙)」とか言っていてください。俺たちはそんなのどうでもいいんで。みほちゃん達がスカートで必死に戦う姿にハァハァしてるんで。個人的には武部ちゃんかな!あと麻子ちゃん!あの眠そうにしつつすげえハンドルさばきがいいよね!

ガンダムに縛られたアニメを解放したスト魔女スタッフの功績の大きさを日々噛みしめる。そして未だにガンダムに縛られたサイコパスやSAOの古臭さにため息をつく毎日である。
ガルパン四話で道路を走る戦車、あれは劇場版パトレイバー2のパロにも思えるが、あれをギャグとしてやれる辺り本当に隔世の感である。本広のバカならドヤ顔で社会風刺にするに違いない。むしろ大本の押井すらあれをギャグ半分でやってるというのに…踊る外したからってアニメに逃げ込んでくるんじゃねえよ。
最近のアニメをなんとなく見ていて気づいたことがある。
かっこいい大人がいない。
まあラノベ系やハーレム系、日常系など大人が出る意味が大してないアニメであればそれもよくわかるが、それこそ大人がバシバシ出てくるようなSFバトルものですらその大人どもの不甲斐なさが半端じゃない。
顕著だったのはラグランジェだ。
これでもかというほど出てくる大人たち…司令官やまどかの叔父などが話に絡んでくることはほとんどなく、ヴィラジュリオやディゼルマインに至ってはまどかに説教くらってなお世界を破滅の道に陥れている。
まどかの姉はまだ大人らしいことをしていると言えないこともないが、それにしたって「しゃんとしろ!」とメールを送っただけである。何とも言えない。
エウレカAOの大人どもにも同じことが言える。やたら「子供たちのために」と連呼するくせにひたすら心配するだけで何もしない。IFOに乗れないのは設定上しょうがないがそうでなくてもほかの兵器に乗って助けるとか色々あるんじゃないか?精神的に成長した身として言えることがあるのではないか?という疑問をガン無視してひたすら主人公たちの活躍を見届け涙するだけである。
また、ホライゾンやアクセルワールドにもイカした大人がいてもいいような感じだというのに、設定でバトルに大人を排除し少年少女だけでドンパチする。ココロコネクトや恋チョコだっていい大人が説教かましてくれてもよさそうな場面で出てくるのはやたら大人びた高校生ばかりである。
そう。逆に言えることがある。
主人公たちがあまりにも無敵なのである。
最初から成長の必要を感じさせないほど問題がない。先ほどのラグランジェにおけるまどかなど、1クール目の一話から今に至るまで何が変わったのか全くわからない。一応悩み的な描写もあるが、それを解決するようなこともなく、それこそ世界の危機ですら一話のノリと全く同様に解決してしまう。
AOはまあ成長…いやしてないな。何もしてない。変わってない。精神的未熟は描写されているが、それによる問題も大して起きず、起きてもなんだかんだで解決されている。今週のエレナとか意味わからん。二十話に至るまで散々振り倒した逃避設定をアオの謎告白一発で解決して感動する奴いるの?
兆候はあった。モーパイである。
設定や話運びは古き良きアニメであり、実際90sアニメ好きがかなりはまっているようだったが、しかし俺にはわからないことがあった。繰り返しになるが、主人公である茉莉香の成長が見られない…というより完全に強くてニューゲームなのだ。
齢15の女子が海賊の船長である。これは誰がどう考えたって七難待ち構えていると考えるのが妥当であろう。船の動かし方もわからず、指揮もできず、敵との戦闘には怯え、発砲にはためらううら若き乙女が、宇宙の荒波に揉まれ少しづつだか着実に船長として成長していく…そんな話を想像するのが普通だと思う。
が、彼女は最初の戦闘…いやその前からあまりにもありすぎる才能を発揮し、何にも困ることなく海賊船長をこなしていく。百戦錬磨の海賊たちに何見劣りすることなく海賊道を爆進してく。困ることといえばスケジュール管理くらいだろうか。
こんなのありか?監督はナデシコの人と聞くが、よくこんなの許したなと思う。

要するに大人がガキになり、ガキが大人になっている。その境界線がとても薄いのだ。
原因もまあだいたいわかっている。想定している顧客及びクリエイター…それもシナリオ部分の製作者の(中途半端な)低年齢化だ。ガキに大人はウケないし、ガキに大人は書けない。また、ガキというものを相対化できていないので書くガキも中途半端に成熟してしまうことになる。
といっても、アニメ自体ガキ向け商売なわけだし当然といえば当然と言える。
そういう意味でラノベのガキっぷりは許せる。ラノベはシナリオを一人で書く。エゴこそが売りのコンテンツである。それはもう痛さ爆発させてガキにしか書けないものを存分に書くべきだろう。
が、恐ろしいのは先ほど挙げた例二つ…ラグランジェとAOどちらもアニメオリジナルであるということである。
アニメの面白いところはガキ向けのものを大人が作ることにある。その融合が化学反応を生み、大人もガキ(ちなみに今更言うがここでいうガキとはパヤオとかがうわ言でいう小学生とかではなく中高大学生のことである)も楽しめるポップカルチャーとなる。と俺は思っている。大人が大人向けに作るならアムロが乗るのは戦闘機でありカウボーイビバップはSFにならないしエドもいなけりゃアルもいないのだ。そして俺たちはその齟齬を楽しむ。
しかし…ガキがガキ向けに作ったものを楽しめるほどガキでもない。
ガキ向けのものを大人がアニメ化する。大人でなくてはならない。少なくともAOの會川やラグランジェの菅正太郎は俺から見たら大人ではない。大人に憧れて模倣するガキである。
別に質アニメを賛美するわけではない。大人が大人向けに作った坂道のアポロンは全然面白くなかった。コクリコにも吐き気がした。大体にして本当に大人な大人がアニメを見るはずない。そんなこともわからずアニメを見て「やーこいつらガキでんなー」とのたまう自称大人野郎になりたいわけではない。ラブコメスポ根ラノベハーレム日常ブヒ系ウェルカムである。ただ、そこに大人の視点がなければ面白くないのもまた確かなのだ。

スト魔女にはミーナやもっさんという大人がいた。瀬戸にもいた。イリヤにもいた。タイバニにもいた。
今季だとタリタリとか信奈にはいる。タリタリの和奏の父が俺はすごく好きだ。不甲斐なく、父親としての甲斐性なんてかけらもなく、でも父親としてしっかり生きようとしている。これがガキでもなくステレオタイプな大人でもない、大人にしか書けないリアルな大人だと思う(ただタリタリは逆にガキがガキすぎるんだが…)。ちなみに似たようなキャラを書こうとして大失敗してるのがAOのアロハである。
結局シリアスになるのを嫌っているせいだと思うが、現状シリアスを書こうとする奴は虚淵しかりマリーしかりガキばっかなので悲しい限りである。シリアスこそ大人が書かなければいけないのに。最近見たパトレイバー劇場版1のような、ガキがガキの、大人が大人の素晴らしさをしっかり演じているアニメを見たいものである。萌え絵で。

追記

Qでのミサトさんこそ俺が見たかった大人である。
よく「ミサトさんだって破で行きなさいって言ったじゃん!」という人がいるが、俺が思う大人とはそういう過去の言動に対し帳尻合わせのような責任をとるような人ではない。目の前に起きていることを見据え、それに合わせ目的を定め、何を捨てても行動する人である。
旧劇のミサトさん(たち大人)はなんかよくわかんない過去からなぜか現在進行形の悲劇に何もせずただただセンチメンタルな行動をとるだけだった。それは彼らの持つ能力から考えたら仕方のないことかもしれないし、何ら責を負うことはないかもしれないけれど、だがそれこそガキである。自分は何一つ行動せず、ただ愚にもつかないエールだけを送って全てをガキどもに任せるAOやラグランジュの大人と同様に。それはある意味破までのミサトさんもそうだった。
世界の崩壊という現実を前に無力感をもって佇むのではなく、例えそれが自分にも責任があるにせよ、いやだからこそ何をもってしてもそれを解決しようという信念を持った深く被った帽子と高い襟の奥にある目は、正義か否かとかそんなクソみたいな話など全く関係ないところで輝いていた(そしてだからこそボタンを押せなかったあのシーンも光る)。
マジでQは俺が今のアニメに足りないと思ってるもの全部詰まってる気がする。
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