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ここは管理人u16の趣味雑記をのせたブログです
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今日は声優を語ろうかなと。
4種類にランク分けしてみます。

A:神
B:かなり好き
C:そこそこ注目
D:死ね

特に一覧とか見ないで書くので穴があるかもしれない。

A
沢城みゆき
三木眞一郎

この二人はもう神と断ずるに些かの躊躇も持たない。
まずもって声質が最高で、とりあえず適当に喋ってるだけでも脳髄にクる。
そのうえ細やかな芝居が要求される日常会話から感情を爆発させるクライマックス、大きく表現はしないが大事な感情が込められている何気ない名シーンまで全演技が完璧。もちろんギャグ演技も余裕。
演技の使い分けに関しても、みゆきちに至っては女版山寺宏一かというレベルである。ミキシンはそういうのをあまり聞かない…というかここまでベテランだと無理やり声質に合わない演技を要求されることがないのでしょうがないが、個人的に声優における声色変化技術にあまり重きを置いていないのでどうでもいいかな。
この二人ならよくある罵倒CDとか普通に買いたくなるなー。意外と共演している印象は無い。というかミキシン最近出番無い!頑張って事務所!

B
喜多村英梨
斎藤千和
伊瀬茉莉也
花澤香菜
茅野愛衣
福圓美里
藤村歩
杉田智和
中村悠一
神谷浩史
木村良平
梶裕貴
細谷佳正

うわーひどい。あまりにゆとりラインナップ。
というか実力のある人がしっかり売れる業界だから声優に興味あるんですけどね。
とりあえずキタエリと千和は鉄板。前も書いたが二人ともどんな演技もできるオールマイティープレイヤー。重宝されるのもよくわかる。キタエリはあえてギャル臭隠さないのが俺的に好感度UP!あと歌うまいところも!あとブサイクなところも!
伊瀬は結構難しいところだが、ブヒ演技が完璧すぎるのと惡の華の演技が極上S演技だったのでラインナップ。ぜひ今度は萌えアニメであのドSっぷりを見せてほしい。
ざーさんは腕としてはAに入れても問題ないくらいなんだが、こういう声に華がある系かわいい声優はどうしても厳しく見てしまうのだ。清純タレントとしての売り方もイライラするし!ぬぁにが「ダメ女な部分を直す」だ!騙されるなみんなこいつうまく隠してるだけで中身ドビッチだぞー!
茅野もほんと色んなキャラができるし演技もしっかりしてる。新人の中じゃ伊瀬と並んで筆頭株かな。茅野は売れてるしね。ただまだポテンシャルを発揮させてくれる役に出会ってないのでそれ待ちの印象もあるが、楽しみな声優ではある。あと歌がいい。凄くいい。はよ歌手活動してくれ。
福圓さんは安定ですね。最近見ないけど。またあのシャウトを聞きたいです。
藤村は…完全にひいき目。頼むよ!出てくれよ!最近ちょい役でしか見ないんだよ!この人の声聞けるのがファミリーマートだけってどういうことだよ!声優界間違ってる!みかこしに男演技させるくらいならこの人にー!
杉田中村神谷に関してはもう説明いらないよね。最近化全話見たんだけど神谷のイケメン演技に濡れ濡れですよ。やっぱ売れる声優は違うねー!最近見ないけど!
木村良平は男の新人(でもねーけど)では完全に頭一つ抜けてる。いい役もらえれば上の御三家目指せるレベル。とにかくニュアンス演技が気持ちいいんだよね…何気ない演技にも凄い感情こもってる。はがないの小鷹はキャラはクソだが演技は最高だったと思う。
梶も一時期あまり好きでなかったんだけど最近いろんなキャラやるようになってまた魅力を再確認というか。男版福圓さんじゃないけど120%の叫び演技が楽しくてしょうがない。いい声質してるしね。個人的にはろうキューブのイケメン演技が好きだなー。
細谷もいい。男臭いテナーボイス声優って最近あまり見ないのでかなり貴重だと思う。こいつもやっぱりまだ役に恵まれない印象があるけど、ロボノの昴はすごい良かったよ!あと歌下手だね!そこもプラス!

C
佐倉綾音
井上麻里奈
水橋かおり
内山夕実
代永翼
小野友樹

なんかもっと色々あったけどあまりにありすぎるので絞りました。
佐倉綾音はもっと評価されていい。悠木碧以降…というかゆるゆりあたりから声優未満のドヘタクソを平気で連れてきて顔とキャラで売るクソ商法が流行りだしてきているが、その世代で彼女(と大久保瑠美もそうかもしれない)はまっとうに演技ができる数少ない新人である。個人的に君町のS演技は素晴らしかった。あと無駄に絵がうまいのもいいと思います。
逆に井上麻里奈と水橋かおりは最近になってこの世代の素晴らしさを改めて実感させてくれた二人である。井上の十夏における萌え萌え演技と水橋のフォトカノでのニュアンス演技は極上の一言。名塚小清水中原サトリナ…中堅世代のうまさ(とあと演技の幅)はぜひ今の新人に見習っていただきたいものである。
内山は声が低い系女声優でそこそこ売れてる数少ない人材なので。るりちゃんが内山とか俺得俺得ぅ!楽しみにしてます!
代永は完全にジュード君のおかげだね。あとうたプリのヘブンズのキャラもよかったよ。あとはもう少し違う系統の演技もしてくれたら…あーフリーはいいです。
小野友樹はもう少し頑張りましょうというか役に恵まれない声優の代表かなー。あともう少しで細谷級にはすぐなれそうだと思うんだけど。まあ今そこそこ押してもらってるようなのですぐに俺好みの役をもらえるでしょう。楽しみにしてるよ!

D
大坪
赤崎
三上
その他もろもろ最近の新人女性声優

いい加減にしろよお前ら。
顔がいいとかそんなん屁のツッパリにもならねんだよ。アホほど役もらってんだからはよ上手くなれや!売れたくても売れられない声優がごまんといるなかでこんな奴らがバカスカ主演もらってるのが許せない。まあアイドル売りの弊害ですよね…勘弁してくれ。
この世代の中で内田真礼は面白いとは思うかな。あの程度でだけど。今期も帰宅部とか何なのアレ…見てて気の毒になるレベルだよ。場末だからってクソ使っていいわけじゃねーぞ!木戸衣吹はいいと思う!

ふう。
もうちょっとある気もするけど疲れたのでこの辺で。
まー俺声優は腕以外ほとんど考慮しない(というか声優の露出媒体は全くチェックしていない。アニメ雑誌とリスアニTVくらい?)ので、喋りがうまいだとか歌がうまいだとかそういうよく声豚が気にする部分は完全に無視したランク分けになってる。もしかしたらガチの声優好きからは全然理解できないかもしれないが…やっぱアニメ好きとしては声優は声優なんだよね。タレント売りとか知らんから。いくらラジオ面白かろーがいい曲歌ってようが顔かわいかろうが演技できなけりゃどうしようもないし、演技できりゃ例え人間性がゴミでもどっかの誰かと寝てようとも許される。俺はそう思う。
もっとうまい声優が売れるといいと思います。

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「スクールカースト」という言葉を最近散見する。
この言葉を見たこと自体は数年前のアメリカのロックバンドのインタビューであり最近できた言葉というわけではないが、何となく今ネット界隈で議論されているワードであるような気がする。
それをはっきり認知したのは『桐島、部活やめるってよ』の日本アカデミー賞受賞からだ。
見る気がないので見ていないが、どうやらスクールカーストを主題とした話らしい。それもそれを革命するような。受けている層もピラミッドの下のほうに位置するもののようである。いや知らんけど。真面目に調べてないし。
まあ予兆はあったというか…今のヒットした学園物でカースト下層からの話でないものなんてほとんどないんじゃないだろうか。大体がそこから成り上がる話か「そこでもいいよね、ピラミッドなんてくだらない」とかいう肯定的なストーリーだ。
アニメにもその波がある。男の主人公はそのほとんどが冴えない普通の男であり、友達も多いわけではないし彼女なんているものはごくごく稀だ。いや、むしろ『僕は友達が少ない』や『中二病でも恋がしたい』、『俺の彼女と幼馴染が修羅場すぎる』『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』など、ラノベを最底辺に位置していることを前面に出す、もしくはそういうピラミッドを気にしない主人公であるものが特にラノベアニメの中でとてもよく見る。
そりゃ受け手側が下層に位置するメディアなら当たり前の話ではある。モテモテヤリチンイケメン男よりダサダサ租チンブサメン男の方が共感という意味では圧倒的だろう。俺だってそうだ。
ただ、そんな現状に今いち乗り切れない自分がいる。
結局はふがいない自分を肯定するしかできないように思えるのだ。スクールカーストの底辺にいるものがその中で幸せを得る、もしくは上位者の象徴である異性からの承認を得て「スクールカーストなんてくだらない、人の価値はそんな尺度じゃ測れない!」とまあ最高にくだらない自己肯定に勤しむその受け手と書き手の依存関係が透けて見える。
そういう作品があってもいいと思うが、最近いくらなんでも多すぎる気がする。気持ち悪い。
しかも特にラノベアニメに顕著だが、最下層の人間が最も憧れる異性からの承認のされ方がびっくりするくらい荒い。簡単にいえば、何でヒロインが主人公に惚れるのかさっぱりわからない…というかもう惚れていること前提で話が進む。
別に俺だってそういうハーレムアニメの良さがさっぱり理解できないわけではない。マリーのぐえー感爆裂アニメより目と目が逢えば恋に落ちるアホみたいなエロアニメを見たくなる時ももちろんある。しかしさすがに最近のラノベラブコメアニメには嘘臭さしか感じない。バカバカしくなってくる。
だいたいスクールカーストという学校の負?の部分を描こうとしてる時点でリアリティの尺度はある程度リアル方面に傾くわけで、そこでヒロインだけオツムゆるゆる発情系女子にして違和感を感じないというのがわからない。シナリオの不自然さじゃなく萌えるか否かという話でも、そんなクソみたいなピラミッド構造見せつけられながらブヒるより何も考えず見られるアホハーレムのほうがよくね?稲中みたいにカースト制をうまくギャグに転嫁できてるわけでもなし。そりゃ無理だろ。登場人物のほとんどであるヒロインがカースト制とは真逆の頭を持ってるんだから。結局かわいそうな豚釣るためのお飾り設定なわけだ。
ある意味そんなものと真逆に位置するのが女しかいないアニメなんだと思う。共感を捨て、上位下位のない夢幻のような女集団を描くことでただ夢だけを与える。確かに嘘っぱちカーストアニメより全然いい。
しかしそれもどんどん減ってきている。さすがにこれだけ氾濫すれば縮小再生産にならざるを得ないのだからしょうがない。
なぜ男は女のようにピラミッドを真面目に見据え、頂点のものも底辺のものも偏見なく正面から描き、かつそれをエゴ丸出しにせずエンタメに昇華する方向にいかないのだろうか。いやまあそれは確かにかなり難しいしそれを中途半端にやった結果が巷に溢れる何がしたいのかよくわからん少女漫画なわけだが、それでもいつまでもくだらない傷のなめあい表現を繰り返すよりよっぽどましだと思うが…。
といっても別に男側にそういう表現が全くないわけではもちろんない。
『ニセコイ』は本当に面白いなと思う。あくまで完璧にハーレムの構図を、だがしかしできる限り嘘のないように、またつまらないエゴで気分を悪くさせるようなこともなく描く。まずもって楽のイケメンっぷりは近年のアニメでは上条さんぐらいしか思いつかない。これなら確かにハーレムにもなるわと思わせてくれる。しかもよくある優柔不断系でもない。「小野寺がいるから」という筋をちゃんと通す好感の持てるキャラである。よく『ニセコイ』を「ベタだけで作った漫画」と揶揄するものがいるが、俺に言わせれば古き良きラブコメであり、さらに言えばやるべきことをしっかりやってるだけの普通に素晴らしい作品である。バカしか騙されないクソ一発ネタラノベより何倍も強度がある。
そしてもう一つ。『俺の妹がこんなにかわいいはずがない』である。
この作品はむしろさっき言ったようなカーストアニメの源流と位置されているかもしれない。だが、主人公である京介は決して最下層の人間などではない。普通に友達もいるし、女子と話すことも厭わない。
それだけではただの一昔前のエロゲアニメ主人公だが、それらと京介の違いであり彼を非凡たらしめる要素の一つとして、「普通に下心がある」ということがある。
俺妹二期一話。黒猫の告白に「あ、あいつ俺のこと好きなの!?」とゴロゴロ転がる姿はよくあるハーレムアニメの主人公には決してないものだ。もしこれがそこらのラノベだったら「え?黒猫俺のこと好きだったの?知らなかったなぁー!」とかすました顔でぬかすに違いない。女に惚れてほしいと願い、やきもきして勘違い(でもないが)する。これぞ正しい高校生男子である。オタクの八割を占める悲しい女なんて興味ないアピールバカやその反転としての去勢鈍感ファンタジーイケメンとは全く違う。
きりりん氏率いるヒロインの圧倒的ツンっぷりやラブコメとしての丁寧さなど他にもこの作品の魅力はたくさんあるが、他との差異として顕著なのはやはりこの主人公のキャラの良さだと思う。主人公とは共感するためだけのエゴなし人形などであってはならないのだ。少なくともハーレムアニメならばそうなるだけの魅力ある人間でなければいけない。そのうえでかつ共感もできるほど人間味ある個性や細かなキャラ設定などがあったキャラこそ人気主人公の条件であり、それを満たしたのがキョンであり一夏さんであり京介だと思っている。上条さんはちょっと違うけど。
俺は「スクールカースト」という言葉が嫌いだ。なぜかといえばそこに「カースト」という言葉が入っているからだ。
それはつまりカースト制…「どんなに努力しても上層に上がることはできない」という諦め、そして「旧態依然で表面的な意味のないもの」という負け惜しみがある。
だがそれはどちらも間違いだ。最底辺から中の下あたりを行き来していた俺だからこそあえて言う。努力すれば少なくとも中層に行くことは間違いなくできるし、外面のよさというものは確実にその人の価値の一部である。
結局この言葉の裏にあるのはそういう努力が実らない恐怖、そしてブサイクやセンスのなさという先天的なハンデを持っている絶望をバカみたいな相対主義で必死に覆い隠して目を閉じ耳をふさいで逃げ回る卑屈な根性だ。
もちろんスクールカーストで全てが決まるわけではないし、また全てが決まると思い込んでいる馬鹿は一定数存在する。
だが自分の戦えない土俵で戦うものをバカにする性根を俺は美しいとは思わないし、そんな性根がにじみ出て汚れていっている今の表現媒体に嫌なイカ臭さを感じるのは俺だけではないと信じている。

最近まじめな記事ばっかだなー。
というわけで最近はまってるかわいい女の子の話でもします。

1.鈴ちゃん(リトバス)

かわいいね。
すっごいかわいい。まさか俺が鍵ヒロインに萌える日が来るとは。
鍵ヒロインの中では知能指数高めではなかろうか。いやバカだけど他の鍵ヒロインはちょっと会話が通じないレベルでバカなのでそれに比べればマシである。わふーとか言わねえし。
コミュ障ヒロインというのは最近大流行だがさすがだーまえ時代を先どっていたわけだ。しかもコミュ障というよりは人見知りする猫という感じで非常にいい。理樹の後ろに隠れて威嚇する鈴ちゃんは凄くかわいい。
またそんな鈴ちゃんが恭介とかに言われて頑張って人とコミュニケーションをとっていく流れも素敵すぎる。それを来ヶ谷さんとかにいじられるのがまたかわいすぎる。かわいい!とにかくかわいい!たまに耳生えるのも素晴らしい!
ただ恭介との兄妹関係をいまだ使っていないというのが少し気になっていて、もしこれで妹属性までついたらやばい。おれは死ぬんじゃないか。ヒャッハァ!声優も棒っちゃ棒だがそれが逆につっけんどんな感じになっていてまたナイス。うーむ。恐らく俺は鈴ちゃんがいたからリトバス見ていられたんだと思うな。


2.小鳩ちゃん(はがない)

基本的に俺はロリが好きなんだと思う。
12歳前後の妹キャラというだけでもう大体OKという浅はかさである。といっても小鳩ちゃんは実は最初はあまり好きではなく、はがないも夜空目当てで見ていた。
だが夜空がデレて魅力半減してしまい最初は二期も見ていなかったのだが、暇つぶしに見た三話の冒頭でやられた。
お分かりいただけるだろうか。テレビに夢中な小鳩ちゃんに小鷹が訪問者の応対を頼む。しかし小鳩ちゃんはテレビに夢中で生返事。そして小鷹が少し語気を強めたその時!
このぐずる演技がもう天才過ぎて花澤さんに金一封送りたい。あまりにもかわいい。ロリキャラのかわいさを熟知したはなざーさんならではの演技である。誰か花澤さんに国民栄誉賞を贈ってほしい。
小鳩ちゃんの可愛さはかなりのところ花澤さんのおかげだと思う。あの声で「あほー!」とか言われてしまってはそれはもうお手上げというものだろう。必死に同人誌漁ってしまうのもしょうがない。ロリのエロは好きじゃないんだけどね…。
またもう一つ小鷹もこの可愛さの一端を担っている。
ご存じのとおり小鷹は泣く子も黙るクズ主人公なわけだが、何故だか小鳩ちゃんにだけはいいお兄ちゃんになっている。素晴らしい。俺はなぜ惚れるのかわからないのに惚れるのは嫌いだ。だがここまで面倒見もよく大切にしてあげているのであればブラコンになるのもしょうがない。なぜここまでしっかりした男がヒロインに対してはああもゴミクズなのかさっぱりわからんが。
いやむしろ周りの女は突き放さず近寄らせずの生殺しキープ状態を保持しつつ小鳩ちゃんだけはしっかりかわいがるその構図はなんか逆にシスコンの気を感じさせてそれはそれでいいと思う。何となくおにあいの兄妹を思い出すね!どうでもいいか!


3.ひばりちゃん(閃乱カグラ)

あと俺アホも好き。
いや違うんだ。頭いい女の子も好きだよ?好きだけどアニメの頭いい女の子って何か中途半端っつーか主人公と相対すると途端に脳ミソすっからかんになるやん?あれが嫌なんだよ!むしろ主人公に一番厳しくするくらいの気概がほしいわけよ!つる子とか!
というわけでひばりちゃん。アホ。ただのアホ。忍術でうさぎさん呼び出すようなアホ。だがそれがいい!何も考えてない感じが素晴らしい!「やぎゅうちゃーん」とステテテ近寄るその姿はどこか某電波宇宙人を思い出させてくれる。アホな女やるならここまでアホにせなあかんよね!たまことか基本アホな癖になんか妙に普通で見ててイライラするだけなんだよね!
要するに唯ちゃんみたいなリアルでいたらぜってぇ猫被ってるだろって思う感じのイライラぎりぎりくらいのアホさがいい。それが二次元だからこそいい。わかるだろうかこの気持ち。わからないだろうか。わかってほしい!○でも×でもないもの!わかってほしい!他の例だとメイド様のさくらちゃんとかワーキングのぽぷらとか…ちなみによしかちゃんのアホはまた違うアホである!あれは天使だ!わかるかなぁー!


4.るりちゃん(ニセコイ)

そういう意味では上でいう頭いい女の子の代表として。
るりちゃんが一条に惚れないというのは作者は本当によくわかっていると思う。こういうキャラは余程のことがない限り男に弱みを見せてはいけない。清十郎ちゃんが惚れたときは少し残念だったが…というか最近頓にクソメガネとのフラグがビンビン来ていてキレそう。何なん?そういうのいいから!ほんといいから!
小野寺は西蓮寺のコピーだと思っている人は多いだろうが、あれよりずっと細かく作りこまれたキャラである。献身的で恥ずかしがりや、できる限り自分を出さず周りを立てる…どちらかといえばさやかちゃん的なキャラだと思っている。
そんな小野寺の唯一の理解者として彼女のために必死に(というか無理矢理に)フォローしまくるるりちゃんはとてもいい傍観者である。個人的にはこういうキャラはスタイルいいほうが好きなんだが…まあそれは置いておこう。メガネもナイス。
アニメ化するなら声は誰だろうか。やはり早見あたりが固いが日笠とかでもいい。いやでも日笠は明らかに清十郎ちゃんなので藤村さんあたりかな!意外と矢作とか内山とかでもいいと思うわ!つかはよアニメ化せーや!わかってるんやで水面下で進行中なことは!監督大槻さん脚本浦畑さん会社はA-1でお願いします!間違ってもマリーあてるなよ!わかってんな!


5.ジュード(テイルズオブエクシリア)

ジュード君はほんとかわいい。
俺の中の男の受けキャラの理想像をもう体現しているといっても過言ではない。
気配りできるが肝心なところは抜けていて、優しいけどどこか近づかせないところがあり、頭が良くて力も強く、なよなよしてるがちょっと男らしさに憧れるところもあり、押しに弱いけどたまにすごく攻めに入る。この絶妙なバランス。She said the balance is the most beautiful,yeah!
代永もこれ以上ないというほどの受け演技をしている。決して高い声だとかそういうわけではないのだがなーんか腹から声出してないへなへな感があり完璧としか言いようがない。テイルズスタッフは本当にキャスティングに関して恐るべきものがあると思う。
こんなキャラが沢城声のイケメン天然ボインちゃんのミラとくっつくという奇跡に俺は神の存在を確信する。あり得るだろうか。いや、確かに普通にあり得るカップリングだと思う。男女逆にしたらそこらに腐るほどあるし、今の軟弱男と最強女隆盛の時分いつ出てきてもおかしくなかった。だがそれこそ発明である。時代が求めたときに歴史を変える変化は訪れる!それがこの二人である!
いやもうどう素晴らしいかなんてマジ一万字あっても語りつくせないというか語るにはそれこそ俺的妄想エピソードを延々延々書かねばならずさすがにそれはただの夢小説であってこのブログで書くには忍びないので何とか耐えるが、一つだけ事実をもってこの愛を表すとすれば俺はこの二人のおかげで薄い本収集に目覚めた。五月の即売会にも突撃する。
ちなみに俺はこの二人に関しては基本女性向けのを買う。何度も言ってるが男向けの同人誌はバカすぎる。誰とも知れないブタが出てきていきなりミラを襲ってアヘ顔にさせて何が面白いんだアホか!いいか妄想というのは!公式がプレゼンするキャラ情報をくまなく読み取り!そこからキャラたちの日常をスパコンレベルの演算能力をもってシミュレーションし!その仮想現実において描写されたキャラの動きにおいて「これはたまらん!」と思ったところを抜き出し!それを全身全霊の緻密さを描くことなのだ!そんなそこらに転がってるエロ話に属性が一致したキャラあてはめてチンコおっきさせるだけのクソエロ同人はもはや発禁どころか焚書坑儒でも飽き足らない!
え!?女向けでもそんなのいっぱいある!?わかってるよ!俺も適当に色々買って後悔したこと何度もあるよ!特にホモにはあまりにそういうのが多い。そのときのげんなり具合たるや三日ほどオナニーできなくなるレベルである。
ただここで大事なのは「テイルズのエロを書いている女性向け同人」ということである。つまりホモが主力である女性向け同人の中で一般エロを書く気概がある、ボーダーを超えるアウトローである作家に大きな外れはない。それがここ最近同人買いまくって思った俺の考えである。
面白いのはやはりジュード君が受けになることがとても多いというところだ。ミラ様ノリノリである。マジジュード君姫受け。わかるよ!その気持ちわかる!確かにジュード君の受けレベルは高すぎてキャラ崩壊させずに上にするの苦労するよね!
ただやはり俺も男なわけでミラ様が下な同人も読みたい。もちろんクソアルヴィンなぞが相手ではないもので。だが解が出ない。存在するのだろうか?いやきっとある!俺は信じて薄い本を買う!あと個人的に学園コスのデザインが天才過ぎてやばいと思う!ジュード君のあれ何!?死ぬよ!俺死ぬよ!マジセーターがあんなに似合う男いていいの!?髪留めかわいすぎるだろwwwwwww伊達メガネヤバスwwwwwwwwwwwwぐへえwwwwwwwwwwwww


最後のは忘れてください。
俺みたいに今のアニメ見てウンチク語る奴でたまにいるんだけど、今のアニメにおいて萌えが理解できないというのはもはや何で見てるの?くらいの話なわけで、ブヒるということを知らない奴はもう一生昔のアニメ見てろよと思うほどである。
萌えは深い。素晴らしい。もっとみんな妄想するといいよ。楽しいよ!夜眠れなくなるくらい楽しいよ!「青…いいよね」「うん…いい」とかそんなつまらん話してないで「僕も大好きだああああああああああああああああああああああああああああ」って叫んだほうがいいと思うよ!楽しいから!時と場合は選ばないと社会的に死ぬけど!死んでもいいね!最初から死んでるからね!ゾーンビーオーゾーンビー!

ニュータイプの最新号でトリガーの新作が発表された。
監督が今石氏ということ以外ほとんど発表はない(五月に続報があるらしい)が、まあいつもの面々であろう。キービジュアルも大して驚きのあるものでもない。いつもの今石作品なのだろう。
それはトリガー設立発表の時点で俺が思った危惧だった。
グレンラガン、パンストというアクの強い作品を作った後の、そのスタッフでの新会社。ああ、彼らも才能を箱庭で育てるのか。嗜好の合った同志と同じ道をずっと突き進むだけなのか…そういう予想は裏切られることはなかった。

そんな箱庭は今アニメ界のあちこちにある。
UFOテーブル、PAワークス、京アニ、古くはIG、ボンズ、ゴンゾなどなど。
特に最初の三つはアニメに詳しいものであればよく知る名だろう。そこで作るアニメのスタッフのほとんどがアニメ会社所属であり、画面を一度見ればその会社であることがすぐにわかる数少ない会社である。またそれ故社員育成にも力を入れているのか、作画や撮影のレベルは恒常的に高く、固定ファンも多い。
特に京都アニメーションに関してはもはや誰もが知る超有名アニメ会社だろう。
彼らの作画レベルはもう逆に驚くほどでもなくなってしまうほどだ。全話全カットが他会社の力を入れた回かそれ以上に動くという奇跡。またその撮影技術も業界屈指のレベルであり、背景も美しい。アニメ会社というものにランクがあるのだとしたら間違いなくトップクラスに位置する会社だ。
ただ京アニにはもう一つ他の会社と違う特徴がある。
監督までほとんど内製なのだ。
石原立也、武本康弘、山田尚子、西屋太志…この四人がほぼ全ての作品の監督を担っている。要するに京アニというのは作画や撮影、背景スタッフのある程度の集合体というよくあるアニメ会社ではなく、ワンストップサービスとしてのアニメ制作を社是とする会社だといえる。確かに原作選びに関してもある種の戦略性が見え隠れしているし、グッズ展開も自社でやるあたり制作会社の域を超えようとする意志が感じられる。
それ自体はある意味で業界として画期的なことだとは思う。俺も今のような歪んだ制作現場を放置すべきだとは思わないし、雇用者としてのアニメ制作会社はもう少し労働環境を整えていくべきだろう。
だがそんなクリエイター側の視点ではなく一視聴者として、今の京アニが魅力的だとは思えない。
なぜかといえば単純で、その体制ゆえである。同じ人間が集まって作るとなれば確かにその品質は保証されるだろうが、逆に言えばどうしたって同じような作品しか作れないのは当然だ。
むろんシナリオに関しては全く違う題材を選んで多様性を作ろうとはしているがそのチョイスも先述したようなトータルコーディネートという社の方針からやはり一面的になっているし、何より演出に関してはもうどれも同じと言ってしまえるレベルだろう。
それがよく分かる形で現れたのが「たまこまーけっと」だ。
話の平坦さ、あくまでかわいさとギャグを主体とした話作り、女子的なキャラ作り…それはどれもけいおんで作り上げた方法論であり、絵作りもほとんど一緒だ。
彼らはけいおんとの差別化として商店街との触れ合いを入れ、けいおんのような萌豚に強く寄ったものではなく、それこそNHKの夕方アニメのような誰でも楽しめる作品にしようとしているんだろう。
だがそれは失敗といえる。いや、本当に夕方アニメを今の深夜アニメよりも楽しいと思えるような人からすれば大成功だと言える(しかも悲しいことにそういう人間は実在する!)だろうが、今の深夜アニメを見る多くの層はそう思わない。差別化のために押しやられ減った萌えを必死に吸出し何とか楽しむのが関の山だ。もちろん俺も例外ではない。
それはつまりつまらないクリエイターのプライドに囚われたけいおんスタッフ陣が間違えた形で売れ線から逃げた末路であり、さらに言ってしまえばヤマカンでありフラクタルである。
そしてそれが許される状況になってしまうのが最初に書いた箱庭の恐ろしさなのだ。
明らかなエゴ、作る本人以外誰も求めていないものをオリジナリティの名のもとに作り得てしまう恐怖。才人がその才能ゆえに周りを黙らせて独走してしまう悲劇。
アニメとは複合体である。特に今のアニメは監督一人の美学によって作られた作品はほとんど無い。それが多様性を生み、強度を生み、エンターテイメントとなる。
だがそれは時として商業製品を生む。誰でも作れるつまらない大衆迎合作品になる危険性を孕んでいる。それを作る苦しみはクリエイターの声に耳を傾ければ嫌というほどわかる。
そしてその苦しみに耐えかねた人たちは自分の箱庭を作る。同志だけで集まったスモールサークルオブフレンズ。そこには否定される恐怖はない。大衆の声を強要してくる人たちもいない。自分の作りたいものだけを作ることのできる楽園である。
もちろんジブリやグレンラガンのようにその箱庭で守られたエゴが時代に受け入られることもあるし、エヴァのように箱庭の人たちにしっかりとしたバランス感覚がある場合もあろう。箱庭製だからクソだというわけでは決してない。
だが得てして独りよがりになるのが創作の怖さである。どれだけ自分にバランス感覚があると自負していても、決してエゴだけの作品を作らないと誓っても、同じ人間と集まって作っていくうちに必ず段々と自家中毒に陥っていく。それは歴史が証明している。
GONZOが今何をしているか知っているものはいるか?ボンズの最新作は「絶園のテンペスト」である。そこに旧来のボンズにある輝きはもうない。IGの作る「サイコパス」その最新話の殴り合いシーンを見て笑ってしまった。あんなへなちょこな喧嘩シーンしか書けなくなってしまったのだ。IGは!
例え今は輝きを放っているとしても、時が経てば必ずその輝きは失われるだろう。ufotableも京アニも似たような作品しか作れないようになっていき、「あーそういうのねはいはい」と見捨てられ、次第に縮小再生産を繰り返すようになるだろう。まさに今そうなりかけているし。
そしてトリガーも間違いなくその末路を辿る。俺には彼らがグレンラガンのような作品以外作れるようには到底思えない。もしくはパンストのような飛び道具だけだろう。一人だけ恐ろしいバランス感覚を持っていた錦織敦史はトリガーに入らなかった。それはとても明示的に思える。
実は京アニにも一人そんな人がいた。高雄統子である。
消失のコンテにあった繊細さや力強さはもしかしたら京アニに新しい光をもたらしていたかもしれない。少なくともアイマスのコンテは山田尚子には決して描けないドラマ性があった。彼女が抜けてしまったのが悲劇なのか、それとも抜けてしまう必然があるほど京アニの硬直は進んでいるのか、それはまだわからない。
少なくとも俺は今の京アニやトリガーにヤマカンを馬鹿にする資格はないと思う。

俺が今一番注目しているアニメ会社はA-1Picuturesである。
別に何か特別な人脈があって形成された会社ではない。所属しているアニメーターも大した人はいない。監督の色によって何色にも染まるよくあるアニメ会社である。
ただ一つ言えることは金があるということである。
上にはアニプレがある。金に物を言わせてアニメ界をリードするアニメ配給会社である。その下にあるということはつまりつまらんエゴに走らせることを断固として許さず売れることを第一義とする拝金主義があるということだ。
それは重要である。今のようなアニメバブルのおいて未だ商品を作るという考えがきちんと根付いたクリエイターは少ない。そこにおいてしっかりと手綱を握るということはとても重要といえる。
また当然拝金主義ということは金があるということであり、それは当然才能ある人を引き寄せ、潤沢な人員をもたらし、クオリティを底上げする。A-1作品の作画平均はとても高い。
それはもちろん金による工業的な利点である。旧来の有名なアニメ会社のような人脈と才能による美術的な利点とは真逆に位置するものである。前者に魅了されてきた古いタイプのアニメファンはきっとA-1を笑うだろう。金があるだけのつまらん会社だと。
しかし今アニメはポップカルチャーであり、何よりアニメを作るには莫大な金額が必要になる。そんなものを作るにあたって金を考慮しないなど有り得ない。一部の才人たちによる仕事だけを楽しむような人種においてはどうでもいいかもしれないが、数あるアニメのその平均を楽しみたい俺のような人にとって金の問題とは大きな問題である。そこを解決している会社というのはとても魅力的に映るし、実際A-1は多くの人を魅了している。
アニプレにおいて大事なのは岩上氏や鳥羽氏のようなアニメをきちんと知っている企業人がいるということである。だからこそまどマギのような作品をプロデュースできるし、錦織監督や高村監督のような素晴らしいバランス感覚を持った人をきちんとフックアップしてオリジナル作品を作らせることができる。アニメをよく知る配給側と商売をよく知る制作側、言い換えれば作る側のことを知り、情熱をもって接することのできる売る側と、売る側のことを考え、何よりその先にいる視聴者のことを第一と考える作る側のタッグがあってこそ、決して一面的でなくかつエゴもまたしっかり持ったアイマスやビビオペのような作品が出来上がる。
ビビオペはまだわからないが、きっと楽しい作品が出来上がると信じている。俺は早く錦織監督の続報が聞きたい。そして高雄氏の作品が見たい。なぜか聖おにいさんとかいうクソ漫画やらされるそうでとてもかわいそうだ。そうではないしっかりとしたオリジナルアニメを作ってくれる日を心から待ち望んでいる。
アニメの未来は京アニやトリガーではない。A-1にある。そう信じている。

最近またボカロ熱が再燃してるので私的にビビッと!(見てますよね!当然)きたボカロPを何人かおススメしようかなと。
基本的ににわかですが許して。

1.じん(自然の敵P)

はい出ましたニワカ乙ーと思われそうですが色々考えてるんだって!
最近ボカロについて思うことがあって、それは「ボカロって何が大事なんだ?」ということ。
そりゃ曲だろというのはそれこそニワカである。はっきり言おう。曲ではない。
曲ももちろん大事な要素ではあるし曲単体が好きでボカロを聞く層があるのも事実だが、ボカロにおいて有名になったりよく聞かれたりするPにはある特徴がある。といっても他でもよく指摘されることなのだが、要するにそこに物語があるのである。
ボカロでは何とCDの特典でその「曲」の設定資料集が付いたりする。曲である。何じゃそりゃと思わずにはいられないが、もう今のボカロ曲のうちよく聞かれているものの半分…いやそれ以上がその曲に物語が込められている。試しに動画説明欄を見てみるといい。必ずといっていいほどそこに「歌詞にどういう意味があるか」なんてメッセージが載っている。
わざわざYoutubeでなくニコ動を貼ったのにも訳がある。
注目すべきはコメ欄だ。まーひどい。曲に合わせてコメントするなんてかわいいもんで、その曲の解釈について喧喧囂囂論議したりしている。何という痛さだろうか!だがこの痛さこそボカロの本質である!
思い出してほしい。今をときめくsupercell、その名曲"メルト"の動画説明欄を。
「「恋と戦争においてはあらゆる戦術が許される」 歌詞2発めです。最近違う自分が開花していくのがわかる・・」
これはひどい。今じゃ気取って一作曲家ぶっているが初期はしっかり痛いボカロPだったのである(いや別に今だって十分痛いとは思うけど)。
ブラックロックシューターの謎のマルチメディア展開もその痛さに共鳴した信者たちの暴走としか言いようがない。アニメ化までしたのだ。とんでもないことである。
その後にヒットしたPたち…wowaka、ハチなどなど全て何とも言えない痛さがにじみ出ている。もちろんDECO*27や八王子Pなどその限りではない、楽曲勝負のPもいる。だが信者がつく…つまりそのアーティスト性に価値を持つPは少なくとも俺の知る限り痛さ爆発させている人ばかりだ。
その現在形がじん(自然の敵P)である。
曲としてもナンバガ的なギャリギャリギターに性急なリズム、マイナーコードに文字数の多い歌詞とボカロの流行に沿っている。メロのよさや細かい楽器の鳴りなどは凝っている辺りさすが人気があるだけあるなとは思う。
だが何よりもその歌詞である。
もはや解釈どーの言うレベルではない。ほとんど一つの短編である。かといってわかりやすいオチがあるわけでもなく不条理、ループ、夏、閉塞性…ラノベやエロゲからの影響も伺える時代性のある物語だ。まどマギの影響などというのは無理やりとも思うが、この曲が若いオタクの心をつかむのはとてもよく理解できる。
そう、俺が他のナンバガフォロアー痛Pとじんを差別化する理由はそこにある。
しっかりとした物語と時代性のバランスとでも言おうか。
ブラックロックシューターの地上波アニメは成功する確率があったと思う。原曲は少し古いが未だに人気だし、制作陣も決して能無しではない。予算も潤沢にあったように見えた。だが結果は見ての通りどうしようもない痛いだけのアニメに終わり、売り上げも惨憺たる有様となった。
何故か?
理由はいくつもあろうが、俺はやはり「ブラックロックシューター」というコンテンツ自体の中身のなさ故だったと思う。
原曲の歌詞自体も抽象的すぎたし、キャラを確立した絵師も何か物語を考えたうえで書いたわけではなかった。そのせいで結局シナリオは岡田磨里のエゴを爆裂させたものにならざるを得ず、原作?信者の支持を勝ち取ることができなかったのではないか。
だが「カゲロウデイズ」は違う。
調べてみると、どうやらこの歌詞はある大きな物語の一部であり、他の曲とも世界観がリンクしているらしい。そしてその物語は最近小説となってかなり売れたという。
ちなみにずっこけられそうだがその小説は買っていない。あらすじを読んだが…デュラララとエロゲに影響されたワナビというか、まー難しいところだった(小説は体質的に合わないし…)。ただ漫画はちょっと欲しいなと思っている。
いや、その出来は問題ではないのだ。大事なのはコンテンツに中身(面白い面白くないではなく話がある)があること、そしてそれが支持されているということだ。「ブラックロックシューター」のようなイメージとキャラのみの産物ではない。もちろんイメージ先行な部分もあろう。曲しか聞いたことのないファンも沢山いるだろう。だがそれがアニメ化するとなったら?しかもそれが原曲者の考えた話を忠実に描いた歌詞通りのアニメだったら?それを支持しないというのであればそれこそファンではなかったということだろう。
物語性が重要なボカロ界で、今その先頭にいるのがじんである。他の曲もいくつか聞いたがどうやら音楽的素養も結構あるようだし、ボカロで生きていく心意気もあるように見える。彼の行く先はボカロ界のそれを左右すると思う。ぜひ注目していきたい。

い、いきなり長くなってもうた…。

2.ATOLS

あくまで自分なりの区別ではあるが、ボカロ曲は大きく二つに分けられる。
ロック系とクラブ系である。
ロック系とはそれこそさっき挙げたじんのような、ギターとベースとドラムで鳴らすバンド形式の曲だ。やたら早いリズムだったりディストーション効いてたりと正直何だか似たような曲が多くあまり音楽的には楽しくないが、ランキングではかなり多くの割合を占める。さっき言った痛いPは大体こっちである。
一方クラブ系は何故かダブステの影響をかなり受けた楽曲が多い。ベースやキックの効きも素晴らしくエディットもやたら凝っていたりと本当にそこらのEDMのような曲が多く、かなり音楽的には面白いと俺は思っている。
そこには訳がある。
よく言われる「プロの犯行」というやつである。
つまり宅録でDTMとしてアーティスト活動をやっていた人が暇つぶしにボカロで曲を書いてみたらやたら評価されましたということだ。確かにクラブ系のアーティストであればボカロを使うことは造作もないだろうし、ロボット声を使う抵抗もあまりないだろう。
さて、ここで議論すべき問題が一つ起きる。
そういうものをボカロ界に含めていいのだろうか?
そりゃ当然音楽的にはアマチュアよりずっといいものができるだろう。プロであれば機材も高いものが使えるし、曲作りの知識も経験も豊富だ。音楽としてみてとてもレベルの高いものが作れるのは当然といえる。
だがそれはただの暇つぶしである。それで食っていく気は…まあ売れたらあるかもしれないが基本的にはないだろうし、何よりボカロ界に魅力を感じてその一員となろうという考えは決してないだろう。単純に流行っているからボカロで曲を書いて、小銭を稼げたらそこまで。そういうアーティストを「ボカロ界の実力者」的な扱いをしていいものか?
難しい問題である。曲がいいのは間違いないし、動機が不純だからといってアーティストとして非難すべきかどうかも難しい。大体にして本当にボカロ界に魅力を感じてボカロ曲を書いているPが何人いるのかという話だ。
ただやはり自分としてはそういうのはボカロPとみるのは違うと考える。今のようにボカロというだけで注目される現状だからこそその線引きはしておかねばならない。
そしてその線引きの基準は、やはり「痛い」かどうかだと思う。
さて、前置きが長くなったがそこの境界線上にいるのが彼、ATOLSだ。
最初はエレクトロ系のアーティストとしてCDも数枚出したが、最近になってボカロ曲を作りニコ動にアップするようになった。まさに上でいう「プロの犯行」だ。
道理でその楽曲のレベルたるや半端なものではない。上で張った"ワンダラーズ"などもはやミニマルテクノの域にすら達している、他の曲もIDMとダブステを強く感じさせ、その音楽的素養の高さはボカロ全体でも屈指のレベルだろう。
しかしそれだけでは上の通りただのお遊びである。彼を取り上げた理由は他にある。
明らかに自分なりの世界観…誤解を承知でいえば物語があるのだ。
単純な歌詞の意味でも"バベル""エデン"などは言葉選びに情景描写があるし、それこそ"ワンダラーズ"も「あふれる世界で」というワードをリフレインさせるとさせないでは意味合いが全く違う。あくまで断片的、イメージを想起させるレベルに留めてはいるが、そこに独自の世界観があるのは間違いない…言うなれば「痛い」。
一部で有名になった「イルカの夢でさようなら」というまあ言うなれば恐怖サイトの作者だという噂があったり謎の19秒のアニメ動画を挙げたりと、決して表現を曲だけにこだわらない姿勢はボカロという文化と強くリンクしていると思う。
もちろんそれだけで彼がボカロ界に身を置くという断言はできないが、何よりもまずそこそこ人気があってかつ普通に素晴らしい曲を書くという時点でボカロ界ではかなり貴重である。かなり楽しみなPの一人である。

3.monaca:factory


王道、変化球ときてまあ普通な?Pを。
音楽的には相対性理論やくるりなど邦楽の良質な部分に影響されたバンド寄りのポップス。音の鳴りはいいしセンスもかなりよく、いいアーティストである。歌詞もバカみたいにわかりやすくもなくかといってイミフでもなく、微妙にセンチメンタルなところもあり好みな感じ。
つまんないっちゃつまんないんだけど、妙に痛いだけがボカロじゃないんだねという証明とでも言おうか。こういう普通のPがもっと売れるようになればボカロももっと広がりを持つとは思うんだけど…それじゃ意味ないか。
というか最近のボカロは本当に生音が多くてびっくりする。DTMの性能が上がってきてるだけなのかもしれないが、ある曲ではドラムやミキシングなどを外注していたりしてどんどんボカロ界のネットワークが広がっていくのを感じる。そりゃJPOPなんか聞かずボカロ曲聞くわけだ最近の若い衆は。
そういう意味じゃこの"ショコラと隕石"も象徴的だけど、JPOP丸出しな歌い上げ系は随分減った印象がある。そういう曲はボカロではどうしてもボーカルが弱くなってしまうから当然の成り行きといえばそうなんだけど逆に言えば少しずつミクその他ボカロのキャラというか神格化が薄れてきているともいえる。ただの楽器としか見ていないというか。
まあ要するにボカロ界の成熟部分の象徴とでもいう感じで選びました。

4.かめりあ



さっき書いたけど何でボカロってダブステというかブロステ好きなの?
クラブっぽい曲だとだいたいベースがビヨビヨなってるのは本当に謎。確かに今EDMは流行りだけど…EDMの他の部分はほとんどないし曲構成自体は至って普通なポップスなのになぜか隙あらばスクリレックスみたいなウォブリーベースが鳴り響く不思議。
その中でこれは!と思った一曲。
まず絵がエロイね!大事だよねそういうの!
んでメロがまたいい。さっきの書き方で言えばまさに歌い上げ系で聞いててすごく気持ちいい。大体こういう曲ってPerfumeみたいにあくまで添え物としてのボーカルしか乗ってなくてそこがつまらないんだけど、これは90sJPOPっぽい抑揚が楽しい。でも曲構成はちゃんとEDMのマナーに沿っていて、広がりのあるシンセから盛り上がり→フレーズのあとサビというのは卑怯だが素晴らしい。ヤスタカ臭さの薄いエレクトロというのは最近ほんと珍しいのでとても好感が持てる。かといってトランスでもないし。
歌詞も珍しくPとは違う人だけどいい感じにラブソングなのはグー。
本当にポップスとしていいなぁと。しかしこれはいったいどの層が聞いてるのかというか…コメ見てもスクリレックスすら知らん人が聞いているようだが、もし普通のボカロ層だとするなら中高生がこんな爆音ベースで楽しんでるわけか。素晴らしいことだ。ヤスタカとボカロで今の若者はクラブ音楽を楽しむわけだ。いいと思います!

5.初音階段


ラストはPとはちょっと違うが。
ノイズ界に名だたるあの非常階段が初音ミクとコラボ!…というわけで爆音ノイズの上でJUNKOさんの代わりにミクが歌うのかと思いきや(いやそういう曲もアルバムにはあるんだが)、なんと昭和歌謡カバー。しかもしっとりアレンジ。
なーんだ…と思いそうだがこれがまた異常にはまっててビビる。
まず歌詞が怖い。「あなたが森と思っているものは死んだ人の爪の跡 あなたが風と思っているものはまだ生まれない息子たちの声」。これを感情ゼロのミクボイスで歌われるとその恐ろしさは完全にホラー映画レベルになる。
アレンジはもちろん非常階段がやっており、決して邪魔にならない落ち着いた演奏。そして突然はさまれる非常階段の爆音ノイズ、そして当たり前だが抑揚の全くないミクの歌声が合わさって…俺はこれを聞いてゆら帝の"フランキーティアドロップ"のカバーを思い出した。
ちなみにアルバムにはタンゴのカヴァーも入っている。都会の冷たさをゆっくりと描いたあの歌は、今ミクが歌ってこそその真価が発揮される…JOJO広重さんの意図は俺には痛いほどよくわかる。
ミクは今富田勲や渋谷慶一郎など音楽界の重鎮からのラブコールを受けているが、俺にはそれらはどうも興味が湧かない。とても表面的なコラボレーションにしか見えないからだ。富田勲も渋谷慶一郎も、ミクやボカロをしっかりと向き合ったうえでコラボしているとは到底思えない。はっきり言ってしまえばサブカル連中を満足させるためだけの名前貸しのようにしか見えないのだ。
もちろんそれは非常階段も一緒だろう。JOJO広重さんがしっかりとミクを勉強したうえでこのアルバムを録ったとは俺も思わない(ミクのプログラミングもそこらのPに任せたらしいし)。
だがそういうことではない。このインタビュー(http://ototoy.jp/feature/index.php/2013011700)からは、彼なりにミクと向き合う姿勢が見られる。話題作りでもなく、ジャンル横断というお題目のためでもなく、単純な興味の上でミクとコラボしたという心が。大体にしてこの話自体ボカロのレコード会社側からのものだし、何よりこの二人のコラボがそんな金や話題になるなんて誰も思わないだろう。純粋に向き合い、それに合わせたコラボを考えたのだ。だから単純にノイズにミクを被せるなんてものではない、緑魔子やじゃがたらのカバーをさせるというアイディアに行き着いたのだと思う。
このコラボでボカロが文化的強度を持ったとは思わない。きっとこれはボカロ界に何の影響も及ぼさないだろう。だがミクの力がこんなアングラまで及び、そしてそれをしっかりとキャッチしたという証拠として、俺はこのアルバムを挙げる。

さて5曲。
あまりに偏った選曲過ぎて入門には大いに不適だろうが、ボカロという文化の多様性や面白さは伝えられたのではないかと思う。
最後に、なぜ俺がミクという文化に惹かれるかを書きたい。
もちろんオタクだからである。ボカロはオタクと近い(一緒では決して無いが)。そして俺は音楽が好きである。だから聞く。基本的にはそういうことだ。
だがもう一つある。それは何度も書くような「痛さ」のためである。
今「痛い」という価値観がオタク文化から消されそうになっていると思う。「中二病」と置き換えてもいい。
そういう価値観を相対化して、排除しようとする動きが見られる。あのラノベですらどうも最近痛さから逃げているような気がしてならない。
その中でボカロ界の痛さはあまりに異質である。何の保険も逃げ口上も用意せず、ただひたすらにミクを信じ、ボカロを信じ、熱狂している。
それを若いの一言で済ましてもいいかもしれないが、俺はむしろそこにボカロ文化の魅力を見る。
痛くたっていいじゃないか。何かを盲目的に信じていいじゃないか!それこそがオタクやロックの、ユースカルチャーの強みだったのではないか!何が中二病だ!何が痛いだ!そういうのが好きだからアニメ見て漫画読んでロック聞いてヒップホップ聞くんじゃないか!
もちろん文化に成熟は不可欠である。それほどまでにオタク文化やロックが成熟したといってもいいかもしれない(ただ単に受容者がおっさんになっただけともいえるが)。
だがそんな時こそ若さが必要なのだ。その呼び水としてボカロは間違いなく機能する。そう信じたいものである。
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