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最近のアニメをなんとなく見ていて気づいたことがある。
かっこいい大人がいない。
まあラノベ系やハーレム系、日常系など大人が出る意味が大してないアニメであればそれもよくわかるが、それこそ大人がバシバシ出てくるようなSFバトルものですらその大人どもの不甲斐なさが半端じゃない。
顕著だったのはラグランジェだ。
これでもかというほど出てくる大人たち…司令官やまどかの叔父などが話に絡んでくることはほとんどなく、ヴィラジュリオやディゼルマインに至ってはまどかに説教くらってなお世界を破滅の道に陥れている。
まどかの姉はまだ大人らしいことをしていると言えないこともないが、それにしたって「しゃんとしろ!」とメールを送っただけである。何とも言えない。
エウレカAOの大人どもにも同じことが言える。やたら「子供たちのために」と連呼するくせにひたすら心配するだけで何もしない。IFOに乗れないのは設定上しょうがないがそうでなくてもほかの兵器に乗って助けるとか色々あるんじゃないか?精神的に成長した身として言えることがあるのではないか?という疑問をガン無視してひたすら主人公たちの活躍を見届け涙するだけである。
また、ホライゾンやアクセルワールドにもイカした大人がいてもいいような感じだというのに、設定でバトルに大人を排除し少年少女だけでドンパチする。ココロコネクトや恋チョコだっていい大人が説教かましてくれてもよさそうな場面で出てくるのはやたら大人びた高校生ばかりである。
そう。逆に言えることがある。
主人公たちがあまりにも無敵なのである。
最初から成長の必要を感じさせないほど問題がない。先ほどのラグランジェにおけるまどかなど、1クール目の一話から今に至るまで何が変わったのか全くわからない。一応悩み的な描写もあるが、それを解決するようなこともなく、それこそ世界の危機ですら一話のノリと全く同様に解決してしまう。
AOはまあ成長…いやしてないな。何もしてない。変わってない。精神的未熟は描写されているが、それによる問題も大して起きず、起きてもなんだかんだで解決されている。今週のエレナとか意味わからん。二十話に至るまで散々振り倒した逃避設定をアオの謎告白一発で解決して感動する奴いるの?
兆候はあった。モーパイである。
設定や話運びは古き良きアニメであり、実際90sアニメ好きがかなりはまっているようだったが、しかし俺にはわからないことがあった。繰り返しになるが、主人公である茉莉香の成長が見られない…というより完全に強くてニューゲームなのだ。
齢15の女子が海賊の船長である。これは誰がどう考えたって七難待ち構えていると考えるのが妥当であろう。船の動かし方もわからず、指揮もできず、敵との戦闘には怯え、発砲にはためらううら若き乙女が、宇宙の荒波に揉まれ少しづつだか着実に船長として成長していく…そんな話を想像するのが普通だと思う。
が、彼女は最初の戦闘…いやその前からあまりにもありすぎる才能を発揮し、何にも困ることなく海賊船長をこなしていく。百戦錬磨の海賊たちに何見劣りすることなく海賊道を爆進してく。困ることといえばスケジュール管理くらいだろうか。
こんなのありか?監督はナデシコの人と聞くが、よくこんなの許したなと思う。

要するに大人がガキになり、ガキが大人になっている。その境界線がとても薄いのだ。
原因もまあだいたいわかっている。想定している顧客及びクリエイター…それもシナリオ部分の製作者の(中途半端な)低年齢化だ。ガキに大人はウケないし、ガキに大人は書けない。また、ガキというものを相対化できていないので書くガキも中途半端に成熟してしまうことになる。
といっても、アニメ自体ガキ向け商売なわけだし当然といえば当然と言える。
そういう意味でラノベのガキっぷりは許せる。ラノベはシナリオを一人で書く。エゴこそが売りのコンテンツである。それはもう痛さ爆発させてガキにしか書けないものを存分に書くべきだろう。
が、恐ろしいのは先ほど挙げた例二つ…ラグランジェとAOどちらもアニメオリジナルであるということである。
アニメの面白いところはガキ向けのものを大人が作ることにある。その融合が化学反応を生み、大人もガキ(ちなみに今更言うがここでいうガキとはパヤオとかがうわ言でいう小学生とかではなく中高大学生のことである)も楽しめるポップカルチャーとなる。と俺は思っている。大人が大人向けに作るならアムロが乗るのは戦闘機でありカウボーイビバップはSFにならないしエドもいなけりゃアルもいないのだ。そして俺たちはその齟齬を楽しむ。
しかし…ガキがガキ向けに作ったものを楽しめるほどガキでもない。
ガキ向けのものを大人がアニメ化する。大人でなくてはならない。少なくともAOの會川やラグランジェの菅正太郎は俺から見たら大人ではない。大人に憧れて模倣するガキである。
別に質アニメを賛美するわけではない。大人が大人向けに作った坂道のアポロンは全然面白くなかった。コクリコにも吐き気がした。大体にして本当に大人な大人がアニメを見るはずない。そんなこともわからずアニメを見て「やーこいつらガキでんなー」とのたまう自称大人野郎になりたいわけではない。ラブコメスポ根ラノベハーレム日常ブヒ系ウェルカムである。ただ、そこに大人の視点がなければ面白くないのもまた確かなのだ。

スト魔女にはミーナやもっさんという大人がいた。瀬戸にもいた。イリヤにもいた。タイバニにもいた。
今季だとタリタリとか信奈にはいる。タリタリの和奏の父が俺はすごく好きだ。不甲斐なく、父親としての甲斐性なんてかけらもなく、でも父親としてしっかり生きようとしている。これがガキでもなくステレオタイプな大人でもない、大人にしか書けないリアルな大人だと思う(ただタリタリは逆にガキがガキすぎるんだが…)。ちなみに似たようなキャラを書こうとして大失敗してるのがAOのアロハである。
結局シリアスになるのを嫌っているせいだと思うが、現状シリアスを書こうとする奴は虚淵しかりマリーしかりガキばっかなので悲しい限りである。シリアスこそ大人が書かなければいけないのに。最近見たパトレイバー劇場版1のような、ガキがガキの、大人が大人の素晴らしさをしっかり演じているアニメを見たいものである。萌え絵で。

追記

Qでのミサトさんこそ俺が見たかった大人である。
よく「ミサトさんだって破で行きなさいって言ったじゃん!」という人がいるが、俺が思う大人とはそういう過去の言動に対し帳尻合わせのような責任をとるような人ではない。目の前に起きていることを見据え、それに合わせ目的を定め、何を捨てても行動する人である。
旧劇のミサトさん(たち大人)はなんかよくわかんない過去からなぜか現在進行形の悲劇に何もせずただただセンチメンタルな行動をとるだけだった。それは彼らの持つ能力から考えたら仕方のないことかもしれないし、何ら責を負うことはないかもしれないけれど、だがそれこそガキである。自分は何一つ行動せず、ただ愚にもつかないエールだけを送って全てをガキどもに任せるAOやラグランジュの大人と同様に。それはある意味破までのミサトさんもそうだった。
世界の崩壊という現実を前に無力感をもって佇むのではなく、例えそれが自分にも責任があるにせよ、いやだからこそ何をもってしてもそれを解決しようという信念を持った深く被った帽子と高い襟の奥にある目は、正義か否かとかそんなクソみたいな話など全く関係ないところで輝いていた(そしてだからこそボタンを押せなかったあのシーンも光る)。
マジでQは俺が今のアニメに足りないと思ってるもの全部詰まってる気がする。
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